五木寛之 流されゆく日々
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連載12427回 戦時昭和用語辞典 <2>
(昨日のつづき) 前回、書いた『轟沈』という言葉だが、太平洋戦争の始まった頃は、まだ使われていなかった。 敵艦を沈めれば「撃沈」が普通である。平出海軍報道部長のラジオ報告で、誇らしげに「巡洋艦…
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連載12426回 戦時昭和用語辞典 <1>
「昭和」といえば、必ず「昭和歌謡」という言葉が返ってくる。 昭和を歌謡曲だけで代弁させるのは、なんとなく違和感があるのは、私が「昭和の人」だからだろう。 たしかに昭和は歌謡曲の時代であった。し…
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連載12425回 戦後昭和の真実 <5>
(昨日のつづき) トラックから降ろされ、徒歩で北緯38度線を越えて韓国側にたどりつけたのは、幸運としか言いようがない。途中で脱落した人もいたし、どこへ消えたか行方がわからない人もいた。 かろう…
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連載12424回 戦後昭和の真実 <4>
(昨日のつづき) その新聞の一枚の写真に引きずられて、記事を読んだ。 なるほど、と、あらためて深く納得するところがあった。 私たちのように、外地で敗戦を迎えた人間には、実感としてわからない…
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連載12423回 戦後昭和の真実 <3>
(昨日のつづき) 当時、平壌市内の各所に、いわゆる闇市はあった。現地の言葉で「闇市」を何といったのか憶えていない。 大きな闇市は、闇市ではない。街の片隅にゴザをしいたり、木の台を置いたりして、…
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連載12422回 戦後昭和の真実 <2>
(昨日のつづき) 敗戦後、北朝鮮に残された日本人は、引揚者ではない。正しくは<棄民>というべきだろう。祖国から見捨てられた民である。 当時、北朝鮮内の日本人の私的な移動は厳しく禁止されていた。…
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連載12421回 戦後昭和の真実 <1>
先日、一枚の写真にショックを受けた。 日経新聞の<文化時評(12面)>に掲載された戦後(1946年2月)の新橋・闇市の俯瞰写真である。 私は戦後、外地から引揚げてきた一人である。同時代に作家…
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連載12420回 七〇年前の愛読書 <4>
(昨日のつづき) 私が早稲田へ<入った>のは、1952年(昭和27年)である。 出たのは58年あたりだろう。あまりはっきりしないのだ。 授業料が払えないので休学しようと思って事務局へいった…
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連載12419回 七〇年前の愛読書 <3>
(昨日のつづき) 当時、金に困って『チェホフ全集』を売りにいったことがある。戸塚の古本屋さんは、目ききが多い。思いがけない高価で買ってくれた。 何日かして、その店にいくと本棚の上のほうに『チェ…
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連載12418回 七〇年前の愛読書 <2>
(昨日のつづき) <七〇年前の>と書いたが、正確には1952年(昭和27年)からの数年間である。 私が九州から上京して、露文に入学してからのバイト学生時代だ。 当時は大学周辺には古書店が沢山…
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連載12417回 七〇年前の愛読書 <1>
学生時代、よく読んだ作家にチェホフとゴーリキーがいた。 ロシア文学のなかでは、なんとなく対照的な感じで見られる存在だが、ともに19世紀に活躍した作家である。 私が学生のころ、 「卒論は誰を…
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連載12416回 面白がって歩く日 <4>
(前回のつづき) <歩く>ということは、重大な問題である。 しかし、それにもかかわらず、気楽な調子で、考えたり、論じたりしている。 私たちの生きている日々も、そうかもしれない。気軽るな文章を…
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連載12415回 面白がって歩く日 <3>
(昨日のつづき) 私はこれまで「歩くこと」について繰り返し書いてきた。 この欄でもそうだが、ほかの新聞、雑誌にも何度となく私見を披露している。 『週刊新潮』に「親指重視論」を展開したときには…
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連載12414回 面白がって歩く日 <2>
(昨日のつづき) 杖をついて歩くということは、ある意味では危険なことである。 つまずいて転ぶ、というのはよくあることだ。足がもつれるというやつだ。それをおぎなうために杖をつく。 ところが、…
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連載12413回 面白がって歩く日 <1>
歩くときに、左側の膝が痛むようになってから、もう5年ほどたつ。 じっとしているときは何ともないのだ。歩くときに体重が左脚にかかると、ひどく痛むのである。 病院にいって診察してもらうと、<変形…
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連載12412回 「知ること」の歓び ─「国家と反国家」(小島岳彦著)を読む─ <2>
(昨日のつづき) この一冊は3部からなっている。 第1部がアメリカ篇。 「星条旗」だけでなく、「アロハ・オエ」と抱き合わせになっているところがミソだ。 私の大学生時代、というと1950年…
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連載12411回 「知ること」の歓び ─「国家と反国家」(小島岳彦著)を読む─ <1>
若いときの読書の歓びは「知らないことを知る」感動である。 では歳をとってからの読書の効用とは何か。 なにやら深淵な思想に触れる感動というのがありそうに思っていたのだが、実際に高齢期の読書の愉…
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連載12410回 敗戦の夏の記憶 <4>
(昨日のつづき) 終戦の詔勅は中学の校庭に整列して聴いた。拡声器から流れる音声が聞きづらかったが、戦争に負けたのだということはわかった。すでに道路にはハングルで書かれたプラカードをかかげたデモ隊が…
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連載12409回 敗戦の夏の記憶 <3>
(昨日のつづき) 母が一時、教師として勤めていた山手小学校(のちに国民学校)と道路をへだてた一画に平壌一中があった。 当時、平壌には一中から三中まであった。私は昭和20年の春、山手国民学校を卒業…
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連載12408回 敗戦の夏の記憶 <2>
(昨日のつづき) ない<内地>という言葉を、子供の頃から普通に使ってきた。 内地とは、外地に対する表現である。外地とは、国際的には<本土以外の土地>ということだろう。<広辞苑>によれば、①国外…
