「裏切り者」「金で動いた」…中京大中京から享栄へ、大藤監督が明かす“異例の転身”の真相
大藤敏行(享栄/愛知/64歳)
きょう11日に履正社(大阪)と対戦する享栄を率いるのは、2009年夏に中京大中京(愛知)を甲子園優勝に導いた大藤監督だ。
全国制覇の翌10年も春夏連続で甲子園出場を果たしながら、その夏を最後に48歳で退任。以降は同校の顧問を務めながら、U18日本代表の指導や秋田県の高校野球強化事業に携わった。18年に県内のライバル校である享栄の監督に就任。長年しのぎを削ってきた「私学4強」間の異例の転身とあって、当時はさまざまな臆測が飛び交った。中京大中京の監督退任から享栄へ、その経緯を赤裸々に語った。
──中京大中京から、ライバルである享栄へ。
「インターネットでも『裏切り者』『中京大中京に恨みがあったのでは』なんて書かれていたようですが、事実はまったく違います(苦笑)」
──全国制覇の翌年も結果を出していたのに監督退任。いったいなぜ。
「その2年ほど前から決まっていたことなんです。学校側から、『監督就任から20年で一区切りつけ、今度は低迷する大学野球部を立て直してほしい』と。そこで、『私が声をかけた選手たちが引退するまでは、監督を続けさせてください』とお願いして、聞き入れてもらいました。その猶予期間に優勝させていただいたのです」
──ですが大学の監督ではなく、高校野球部の顧問になった。
「大学の練習にも足を運んだり、準備はしました。ただ、見ているうちに、やっぱり自分には『子守』が合っているな、と。それで大学の監督はお断りさせてもらったんです。『ならば、中京大中京の総監督でどうか』という打診も頂きましたが、後任の高橋源一郎監督は私の教え子なんです。私が総監督になってしまったら、高橋監督もやりにくいでしょう。それで顧問ということに」
──顧問の期間は、どのように過ごした?
「秋田県の高校野球強化事業や日本高野連の技術・振興委員、U18日本代表のコーチなどをやらせてもらいました。自分の生徒ではありませんから、頭ごなしに言うわけにはいかない。どう伝えれば真意が届くのか、能力もプライドも高い選手たちを短期間でどうひとつにまとめるのか、ずいぶん考えました。彼らは、言ってみれば“借り物”です。接しているうちに、『自分で育てた選手たちと戦いたい』という気持ちが少しずつ膨らんでいたように思います」
──そんな中、享栄からオファーが届いた。
「私が監督をしていた頃の(中京大中京の)校長先生が、享栄を運営する愛知享栄学園の理事になっていました。その方から声をかけていただいたんです」
──とはいえ、享栄はライバル。迷いは?


















