保阪正康 日本史縦横無尽
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軍中央の出たとこ勝負と面子のために兵士が玉砕させられた
この玉砕を大本営は国民の戦意高揚に利用しようとした。何から何まで異例の扱いであった。5月30日の大本営発表は、「5月29日夜敵主力部隊に対し最後の鉄槌を下し皇軍の神髄を発揮せんと決意し全力を挙げて壮…
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アッツ島で戦死 33歳の軍医は妻と娘に別れの日記を書いた
太平洋戦争下で初めての玉砕となったアッツ島での戦いには、多くの悲惨なエピソードが残されている。それらのエピソードを整理したとき、私は涙が止まらなかった。 アッツ島での存命兵士やキスカ島からの…
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投降促すビラを無視し負傷者は自決…最後の突撃が行われた
アメリカ軍がアッツ島に上陸して18日目、5月29日である。この日まで6日間、激戦の日々であった。日本軍兵士の食料も武器弾薬ももう限界であった。日本軍の陣地は全て制圧されている。アメリカ軍に追い詰めら…
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わずか200人の日本兵陣地に5万発の銃弾が浴びせられた
アッツ島の守備隊2600人余の日本兵は、1万2000人余のアメリカ軍兵士を相手によく戦ったといえるだろう。戦闘はほぼ19日間にわたって続き、日本軍はいわば精も根も尽き果てた状態になった。食糧も弾薬も…
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アメリカ軍は1万2000人の兵力でアッツ島に上陸してきた
太平洋戦争の3年8カ月の間を戦闘の変化に合わせて区分すると、連合艦隊司令長官の山本五十六が亡くなってからおよそ9カ月後の昭和19年1月から2月ごろまでを、私は第3期の「崩壊」の時期というべきだと思う…
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山本は「い号作戦」成功と同時に外交交渉を行う方針だった
山本五十六の戦死は、単に海軍の軍事指導部のひとりが亡くなったのとは比重が違う。どういう意味か。 山本の死で戦争を、政治と戦闘の組み合わせで考えることができる指導者がいなくなってしまったのだ。…
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山本五十六の死体は口と鼻に蛆が沸いているに過ぎなかった
この報告書はもともとは南東方面艦隊司令部が第一発見者から聞き取り調査を行い、それを文書化して海軍省に送ったようであった。発見したのは陸軍の第6師団のある連隊の砲兵中隊の隊員たちである。その時の責任者…
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ある軍医が残した資料 墜落後、山本五十六は生きていた?
山本五十六の戦死はしばらくは伏せられていた。国民に与える影響が大きいという理由であったが、しかし現実にはその噂は少しずつ国民に知られていった。 大本営は5月21日に「山本五十六は本年四月前線…
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日本の太平洋戦争の象徴 山本五十六はなぜ撃墜されたのか
連合艦隊司令長官の山本五十六が戦死したのは昭和18年4月18日であった。ちょうど1年前はドウリットル隊による東京爆撃のあった日だった。山本がその1年後に戦死するとは誰も予想しなかったであろう。山本の…
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日本兵の捕虜のためにアメリカはニセの戸籍を作ってくれた
3年8カ月の太平洋戦争で日本軍は、第2段階(これを私は挫折の期間というのだが)で陸軍も海軍も惨敗したのである。アメリカ軍の反抗は昭和18年に入ってからと一方的に決めつけて決戦時期を自分たちの都合のい…
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大本営は犠牲者2万5000人の大敗を「転進」でごまかす
大本営が最終的にガダルカナルの基地奪回を諦めるのは、12月の半ばに真田穣一郎作戦課長が作戦部参謀の2人の少佐を連れてラバウルに赴いて以後であった。真田は12月になって課長に就任したが、事情を確認する…
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兵士の食事は定量の1割で戦った 6日間絶食の部隊もあった
参謀本部作戦部は、昭和18年1月下旬をガダルカナルの再攻撃開始と想定し、それまでに兵力を増強するとか、兵員や軍需品を輸送するとか、計画だけは立てている。制海権、制空権が確保されているなら、補給も行わ…
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できもしない奪回計画を論じている間に兵士が犠牲になった
しかし第17軍は、参謀本部には現在の兵力をさらに増強して攻撃の準備をしたい、第38師団の主力を強行上陸させたい、といった内容を打電している。それを受けて大本営作戦部長の発した電文は、速やかに準備を整…
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日本軍は連隊長、大隊長までが死に攻撃どころではなかった
第2師団の主力は10月22日から一斉に攻撃を仕掛ける予定になっていた。川口支隊までの奪回作戦は奇襲的な夜間攻撃を軸にと考えて行ったが、そうではなく一般的な陣地奪回作戦が有効と判断した。 だが…
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参謀本部は傍受する敵のラジオ放送を都合よく解釈した
ガダルカナル戦の推移は極めてわかりやすい構図で進んだ。日本側がアメリカ軍の上陸戦力を読み違えて、対応する兵力を間に合わせのような状態で送ったのである。言い方を変えれば、アメリカ軍の上陸戦力が10なの…
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アメリカ軍はマイクを仕掛けて日本兵に爆弾を落とした
参謀総長の杉山元は、ガダルカナル島上陸のアメリカ軍を全く相手にしない口調でラバウルの第17軍司令部に命令書を送っている。ガ島上陸の「敵を攻略」して飛行場を奪回せよ、それには一木支隊で十分という内容だ…
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ガダルカナル戦で日本兵2500人が一夜にして全滅した理由
太平洋戦争の第2期ともいうべき昭和17年6月から翌18年4月までの間は、「挫折」の期間といえるだろう。そのつまずきの第一歩はミッドウェー海戦であり、続いての負け戦はガダルカナル戦であった。 …
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全艦沈没。山口多聞、加来止男とともに飛龍は海中に消えた
日本海軍の空母4隻はいずれも急降下爆撃を受けた。空母は見張り役が四方に目を光らせているが、彼らが「急降下編隊、真上」と言った時にはもう防御の手段はなかった。 雷撃隊用に兵装を変えていたので、…
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「運命の5分間」で日本の空母4隻は燃えさかる地獄となった
淵田美津雄が「運命の5分間」という表現を使ったのには意味がある。南雲艦隊の空母4隻がアメリカ軍の艦隊への攻撃からミッドウェー基地攻撃へ、そして再び艦隊攻撃へと兵装を戻す作業が「赤城」の場合はあと5分…
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アメリカ海軍の主力が日本の空母が来るのを待ち構えていた
南雲部隊の空母では第2次攻撃隊が、アメリカの艦隊との決戦に備えての兵装を進めていたが、索敵機からの電報がないためミッドウェー島の基地を叩く陸上攻撃用に兵装を変えた。艦隊はいないと判断しての処置だった…