吉田拓郎
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改めて「すごみ」を強調したい拓郎のサウンドそのモノの力
「こんなにすごかったのか」 21世紀に入って、吉田拓郎の初期作品をようやっと聴き漁ったときの感想だ。 特にアルバムでいえば、「元気です。」(72年)、「伽草子」「LIVE'73」(73年)あたりのサウンドの圧倒的なクオ...
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桑田佳祐が大先輩を焚き付けた屈折のリスペクトソング
1975年以降の吉田拓郎を書くにあたって、75年に小3だった私にとっての個人的・吉田拓郎ヒストリーをご紹介しようと思う。 アリスやさだまさし、ゴダイゴなど、いわゆる「ニューミュージック」に、70年代後半、どっぷりと漬かって育...
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この年の総括に値する「ニューミュージック歌謡」の最高傑作
すでに紹介したイルカ「なごり雪」を超えて、令和においても「現役感」を保っている曲だろう。 そもそも名曲だったことに加え、作者の松本隆、筒美京平のレジェンド性が高まるごとに、この曲のレジェンド性も高まっていった。今の若い音楽フ...
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いよいよ「新しい音楽」が時代のど真ん中にたどり着いた
ある意味では、この曲によって、本連載も最終章に入ったということになる。 10月初頭に発売されたユーミンのこのシングルが、チャートの1位に輝くのだから。 この事実から言いたいことは、ついに「ニューミュージック」が、音楽...
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「よしだたくろう的」な音楽が少しずつ時代とズレていく
「よしだたくろう的」と感じるのだ。吉田拓郎の曲なのだから当たり前だろうと思われるかもしれないが、ここでは表記の話をしている。 このシングルで「よしだたくろう」から「吉田拓郎」に名義を変えたにもかかわらず、音楽性は「よしだたくろ...
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売り上げ的に面目を保った「シン・拓郎」の記念すべき1枚
「約30万枚も売れたのか」「最高4位まで行ったのか」──正直にいえば、そういう感想を持つ。 つまり当時小3だった私には、よく聴こえてこなかった曲なのだ。それでもこれだけ売れたというのは、東大阪の小3とは異なるコミュニティーに迎...
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「1月18日生まれ」の2人によって培われた深夜の歴史
今回は特別編「1975年のラジオ界」。小3の私が、兄貴との相部屋にあった小さなラジカセで、おそるおそる阪神戦の中継などを聴き始めた年。つまり私のラジオデビューイヤーでもあったのだ。 ただ、ここですでに書いた「テレビ界」と異な...
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学生の頃は「推し」の前でフランクにふるまっていた
デビュー前の中島みゆきについて、その後の音楽活動に大きく影響を与えるキーワードを2つ、ご紹介したい。1つ目は「吉田拓郎」(もう1つは次回)。 当時の中島みゆきが、吉田拓郎のファンだったというのである。 こすぎじゅんい...
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【新譜ジャーナル】71年1月号からタイガース解散時の音楽シーンを確かめる
中野ブロードウェイにある、まんだらけに足を運んだ。 沢田研二が一時期住んでいたこともあるという中野ブロードウェイ。由緒正しきロックンロール・ビルである。さらには青島幸男も住んでいたというから、スーダラ・ビルでもある。 ...
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オールナイト野外フェスを音楽文化に定着させた拓郎の約束
石田伸也「吉田拓郎疾風伝」(徳間書店)に記された、拓郎の生の言葉を通して「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート・イン・つま恋」当日のリアルに迫る回の続編。 「朝までやるよ! 朝まで歌うよ!!」と吉田拓郎が叫んで始まったオールナイトコ...
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【瞳みのる】の「今のロックを形作っている」発言と、はっぴいえんどとの関係
たまには朝日新聞なんかに記事を書いたりする。 8月30日付朝刊の「ひもとく」というコーナーに、音楽評論家として「ロック批評の現在地」という記事を寄稿した。 7月に亡くなった音楽評論家・渋谷陽一の功績を認めながら、現在...
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襲い掛かる苦難のたび、音楽の神様が必ず味方する
今回は1975年「以後」のフォーライフについて書く。 いつの世も、果敢な挑戦にはリスクが付きまとう。人気音楽家が主体となって作られたレコード会社、フォーライフに襲いかかる苦難、苦難、また苦難。 苦難その1。既存のレコ...
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無理やりな選挙で社長を決めた「100億円の旗揚げ」
今回から3回は「1975年からのフォーライフ」という特別編。 この年に立ち上がったレコード会社──フォーライフ。小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるという、人気音楽家が主体となって設立したレコード会社として、音楽ファンの大...
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浜田省吾が吉田拓郎のバックバンド時代にやらかしたシンバル転倒事件
「おい、浜田がな、今ドラム叩いとるらしいぞ」 石田伸也「吉田拓郎 疾風伝」(徳間書店)という本にある、浜田省吾の同級生が耳にした言葉である。 1972年に結成されたバンド「愛奴」で、浜田省吾はドラムスを担当する。しかし...
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プロデューサー小坂洋二は「5年以内にレコード大賞を獲らせます」を有言実行した
1975年を代表する曲である。何といっても、この年の日本レコード大賞受賞曲だ。 作詞・作曲はフォークの世界で名を上げ始めていた小椋佳。ここで驚くべきは、布施明が所属した渡辺プロダクションの「フォーク取り込み戦略」である。 ...
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「ニューミュージック歌謡」の導入で当時の大学生を虜に
キャンディーズ、起死回生の一曲。 前作「なみだの季節」(1974年)までは、人気も売り上げもなかなか伸びなかったのだが、この曲で一気にベストテン入り、売上枚数も20万枚を超えた。 起死回生の大きな理由は「ラン推し」。...
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歌詞世界に日常、そして日本を一気に引き寄せた吉田拓郎の腕力は特筆すべき
この曲がヒットした、ヒットし過ぎたから、普通に感じるのだろう。しかし私は指摘したいのだ。「よくこんな歌詞でヒットしたな」と。 「こんな」というのは「こんな和風の」「こんな古ぼけた」という意味である。逆にいえば「こんなに都会的で...
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見事な録音も加勢したから「氷の世界」は売れまくった
とにかく売れた。売れまくった。 井上陽水のアルバム「氷の世界」(1973年)のことだ。 何といっても日本初のミリオンセラーアルバムである。90年代に入って、いわゆる「CDバブル」に乗った形で、ミリオンセラーアルバムが...
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吉田拓郎の功績は「歌声」だけではない イノベーションの数々も別格なのだ
前回書いたのは、武田鉄矢が「彼の歌声には若者の血をたぎらすアルコールが混じっている」と評した、初期吉田拓郎の世の中的インパクト話だった。 しかし、吉田拓郎の歌声を聴いて、血がたぎった当時の若者が、我も我もとギターを持ち、そし...
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若者の血をたぎらす、吉田拓郎の歌声のアルコール濃度の高さ
「彼の歌声には若者の血をたぎらすアルコールが混じっている」 石田伸也「吉田拓郎疾風伝」(徳間書店)にあった武田鉄矢の言葉だ。「彼」とはもちろん吉田拓郎。当時の「彼」のすごみを表した最高の言葉だと思うのだ。 「ニューミュー...
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ニューミュージックとは「戦後生まれ世代による自作自演音楽」のムーブメントだ
前回はタイトルにある「1975」の話をしたので、今回は「ニューミュージック」の概論を語っておきたい。 「そのときニューミュージックが生まれた」の「ニューミュージック」って何じゃらほい、という話。 その答えは、この連載の...
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今にも通じる重苦しい時代にヒットした音楽だからこそ、振り返る意味も価値もある
拓郎、陽水、ユーミンという「GREAT3」が君臨し、達郎、浜省、みゆき、永ちゃんという「BIG4」がデビューした1975年。音楽シーンを取り巻く時代全体は、どんな雰囲気だったのか。 私の小3の頃の記憶をたどると、今=2025...
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志村けん50代での変化に影響したか…吉田拓郎が「Shimura-X」で語っていた生き方
コメディアン・志村けんさん(享年70)が他界し、3年の時が流れた。その人気は根強く、いまだにザ・ドリフターズや志村さんのコント特番が放送されている。そんな中で、個人的に思い出深いのが1996~97年に放送されていた「Shimura-...
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あいみょん「タモリ倶楽部」“ラブホ特集”に登場の衝撃 飾らない本音に男性メロメロ!
シンガー・ソングライターのあいみょん(27)が「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)の「夜の名建築『ラブホテル』特集」(9日深夜放送)に出演し、話題となっている。 番組冒頭、タモリ(77)はあいみょんが過去にゲスト出演した回につい...
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吉田拓郎(76)はすべての活動に終止符…歌手の引退決断は「運転免許返納」くらい難しい
「80歳になる来年5月で歌手引退」を宣言している橋幸夫。加山雄三(85)や吉田拓郎(76)は今年、相次いで引退を発表した。加山は年内でコンサート活動から引退。吉田はすべての活動に終止符。7月21日の「LOVE LOVEあいしてる」(フ...
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加山雄三、吉田拓郎引退報道で思い出す…タレントの「衰え」とは何なのか?
加山雄三が年内でコンサート活動を引退することを発表した。85歳になり「まだ歌えるうちにやめたい」としたのは、本当に立派だ。2019年に腰の圧迫骨折、脳梗塞も発症、20年にも小脳出血が見つかり、歩行や発声などのリハビリを経て、今や表に...
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吉田拓郎“風穴”とシャウトの軌跡(後編)たどり着いた「よ~し、長生きしなきゃな!」の境地
「これからの老老人生、ふたり協力して、できれば明るく、できれば平穏に、できればより長く、助け合って生きていこうと思ってます」 吉田拓郎(76)は月1オンエアのラジオ「オールナイトニッポンGOLD」で、妻で女優の森下愛子(64)...
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吉田拓郎“風穴”とシャウトの軌跡(前編)ピストルを鳴らした「KinKi Kids」の存在
「アマチュアで広島でやっている頃から、シャウトができないってのはつまんねえなぁというのがあった。(中略)それができないっていうのは、僕は自分の限界だと思う」--。 1970年の「イメージの詩」からおよそ半世紀、52年に及ぶ音楽...
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堀ちえみに吉田拓郎も…芸能人の「がん告白」が相次ぐワケ
芸能人のがん告白が続いている。 堀ちえみ(52)がブログで口腔がん(舌がん)のステージ4と公表したのをはじめ、「LUNA SEA」のボーカル河村隆一(48)は肺腺がんの手術を行ったとやはりブログに書いて反響を呼んだ。 ...
