今思えばあの時から…落合博満さんが“秘密主義”になったワケ
森繁和氏による「オレ流とともに去りぬ」(第1回=2011年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回はあの落合博満氏について綴られた、森繁和氏による「オレ流とともに去りぬ」(第1回=2011年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
◇ ◇ ◇
先々週かな、ハワイV旅行に出発する前に落合監督と飯を食った。
顔を合わせるのは、数週間ぶり。妙に照れくさくてなぁ。落合さんも「何か変な感じだな」と苦笑いしていた。
たった数週間の空白が、互いの間によそよそしい雰囲気をつくってしまう。それだけ、これまで濃密な時間を過ごしたということなのだろう。改めて中日で一緒にユニホームを着た8年間の長さ、重さを感じざるを得なかった。
すべては一本の電話から始まった。オレが横浜の投手コーチを務めていた03年。シーズン終了間際のことだ。横浜スタジアムでの中日戦を終え、都内の自宅に戻る途中に携帯電話のバイブレーションが震えた。車を路肩に寄せてディスプレーを確認すると、知らない番号が表示されている。
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