保阪正康 日本史縦横無尽
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金儲けのために女性や子どもの生き肝を取った男
日露戦争後の犯罪で、明らかに戦争の影響を受けている事件をもうひとつ挙げておこう。平時なら起こりそうもない事件と言えようか。人体を傷つけることをなんとも思わないケースである。やはり戦争の終わった年(明…
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「寧斎殺し事件」の野口男三郎
この事件は、今も年譜に記録されているのだが、「少年の臀部切り取り事件」とか「寧斎殺し事件」などさまざまな表現で語られている。野口男三郎という26歳の青年が、少年を通り魔的に襲い、殺害した上にその左右…
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日露戦争後に“勝戦国”日本を覆った虚無感
戦争が終わった後の日本社会にはどのような変化が起きたのか。戦時のモラルは平時のモラルと全く様相を変える。それは平時から見れば、社会病理の現象と言っても良いであろう。戦場では一人でも多くの敵兵を殺せ、…
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敗戦直後にはさまざまな権力が問い直されたのだった
戦後になって、「我こそは天皇なり」と名乗った人たちが、私の計算では19人に達したと記述した。昭和60年代の初めだが、そういう人物の何人かに取材を試みた。むろん当事者は亡くなっていたが、その家族、ある…
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価値観が逆転した戦後社会が生んだ自称天皇たち
戦後社会は価値観の逆転した風景が、いくつも見られた。自分が天皇だ、と名乗り出た熊沢天皇については、すでに記述した。この流れになるのだが、戦後数年の間に、こうした自称天皇はどの程度存在するのか、私は全…
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光クラブ事件(9)調べるほどに納得をした山崎晃嗣の怒りの深さ
山崎晃嗣が学業の傍らいそしんでいた光クラブは、実際には綱渡りの事業であった。出資者に高配当を出しながら、貸し付ける側にはさらに高い利息を取るなどというのは、まさに素人の事業でもあったのだ。こういう無…
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光クラブ事件(8)三島由紀夫は山崎晃嗣と友人だったのか
光クラブ事件について、もう少し記述を進めよう。歴史上に語られている山崎晃嗣とその事業は、実際の事件、事象よりも事実はかなり異なっている。そのことをもう少し補完しておく必要がある。戦争がいかに神経質な…
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光クラブ事件(7)山崎晃嗣は単なる高利貸しではなかった
光クラブの山崎晃嗣は、現役の東大生として高利の金貸しに挑んだのだが、社会背景もあったせいか、たちまちのうちに企業としての規模を拡大した。昭和24(1949)年1月には銀座に進出している。優秀な学生の…
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光クラブ事件(6)感情を捨てた山崎晃嗣の「復讐」
東大に復学した山崎晃嗣は、学徒出陣前の学生とは全く別人のような振る舞いに出ることになる。上官たちに体よく利用された怒りを、自らの人生で復讐していくという形をとる。東大生としてとてつもなく壮大な計算を…
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光クラブ事件(5)“天皇の軍隊”の酷い振る舞い
軍内のリンチで亡くなったAについて、山崎晃嗣の受けた衝撃をKさんはさらに補完して語った。それによると、Aの父親は都内のある地域の博徒として有名な人物だったという。博徒といっても街の秩序を守るタイプで…
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光クラブ事件(4)学徒出陣組に対する下士官の嫉妬といじめ
光クラブの山崎晃嗣が学徒として入隊したのは陸軍の主計将校を養成する部隊であった。主計将校として、それこそ戦争末期であったから2カ月とか3カ月の教育を終えて、すぐに部隊に派遣されていく。まず山崎はこの…
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光クラブ事件(3)東條英機首相兼陸相が決めた学徒出陣の罪深さ
光クラブを経営し、東大生の高利貸として名を馳せた山崎晃嗣は、自らに用意されていた順調な道を捨て、社会に復讐を企てるような試みを行ったのはなぜなのか。戦後社会の価値紊乱の世界で、あえて汚名を浴びるよう…
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光クラブ事件(2)おとなしくて真面目だった山崎晃嗣を変貌させた軍隊生活
私は、戦後史の観点から、光クラブ事件に関心を持ち、この事件、事象を調べて、ノンフィクション作品として書いてみたいと思ってきた。もう20年ほど前になるだろうか、角川書店の編集者であるF氏から、早く書い…
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「光クラブ事件」の山崎晃嗣とは何者だったのか
戦後社会の青年像は、戦争による価値観から、一気に全く異なる価値観の世界に生きる姿にと変わった。昨日まで「国のために命を捨てろ」と生命否定の論理を日々教えられた。それが今度は逆に「命は尊い。大切にせよ…
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戦後混乱期、見捨てられた戦災孤児たち
ヤミ米やヤミの食糧に手を出さずに餓死する人がどの程度いたのか、はっきりとした数字は不明だが、戦災で両親を失い、家屋も崩壊したために、帰る家もない子供たちの数もまた不明であった。特に悲惨なのは、疎開し…
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悪法のため餓死を選んだ東京地裁判事・山口良忠の悲劇
国の配給制度だけを頼りとして、ヤミで一切の食糧を入手しないで、どれだけ生存が可能なのだろうか。それが実際に裏付けられたのが、昭和22(1947)年10月11日に餓死した一判事のケースになるだろう。む…
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敗戦直後の日本で始まった餓死との闘い
太平洋戦争の敗戦直後、戦争は終わったという見方ですぐに平和で、安定した社会が戻ったように考える向きもあるが、それは大間違いだ。食べ物がないだけでなく、住む家もない。着るものとてない。私たちが知ってお…
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戦時下が生んだ小平義雄の残虐な連続暴行事件
小平義雄の犯罪が最初に明らかになったのは、昭和21(1946)年8月17日のことである。東京・港区の寺の一角で若い女性の死体が発見された。衣服を脱がされての裸体であった。警察の調べでは、死後2週間ほ…
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小平義雄は食糧難を利用して殺人を重ねた
戦後社会の犯罪は、むろん特徴を持っている。ひとつは、価値観の逆転に翻弄された青少年の大胆なケースである。のちに紹介するが、アプレ犯罪などとも評された。アプレというのはフランス語の「戦後」を意味するア…
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戦後の犯罪は空腹からくる絶望感が生んだ
戦争が終わったあとも配給制度は続いていて、成人1人当たり1日300グラムほどの米が配給されていた。ところが昭和20(1945)年は凶作で、配給量だけでも足りないのに加えて、貯蓄米もなく配給そのものが…