お笑い界 偉人・奇人・変人伝
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笑福亭鶴光師匠は初対面にもかかわらず「ウチへ泊まったらええがな」と
「鶴光でおま」「わんばんこ」など数多いギャグと共にラジオの深夜放送で絶大な人気を誇っておられた鶴光師匠は私が初めて会った芸能人でした。 6年半の入院・自宅療養生活を終えた1983年、25歳の時…
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月亭八方師匠 自然体のまま、競争激しい芸能界を肩肘張らずに50年以上泳ぎ続けている
御年、まもなく74歳になられる八方師匠は、私の初めてのテレビ用台本、初めてのレギュラー番組を担当させていただいた思い出深い師匠です。 1984年、私がまだオール阪神巨人さんの漫才を書かせてい…
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西川のりおさんに取材すると「うめだ花月においでや、タダで入れるがな!」
1983年から漫才作家稼業を始め、最初に仕事でお会いした有名人が西川のりおさんでした。 当時、漫才を書くだけではとても食べていけないので、テレビ・ラジオ・出版関係と手広く関西圏の仕事をしてい…
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「男性ブランコ」は南キャン・山ちゃんの「コントをやりたいんなら東京へ来たら?」で一念発起
昨年の「キング・オブ・コント」で初の決勝進出で準優勝。「M-1グランプリ」でも敗者復活戦で3位の投票数を集め、決勝進出への最終決戦まで残り大健闘を見せた「男性ブランコ」の平井君と浦井君。 大…
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オズワルドはM-1に優勝できなかったことがさらなる実力をつけてくれる
3年連続「M-1」決勝進出。昨年はファーストラウンド1位通過で、最終決戦では錦鯉に優勝をさらわれましたが、堂々の準優勝。関西の劇場で標準語(関東弁?)の漫才というかなりのハンディをものともせず、「第…
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ロングコートダディは客の予想を裏切る「ワードセンス」が秀逸
昨年「2021M-1グランプリ」決勝に進出したロングコートダディ。次の日に「肉うどん」がよく売れたと言われるぐらい、インパクトを残しました。NSC在学中はコンビではなく、どういうコンビだったのか?ピ…
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「THE W」を制したオダウエダの武器は植田紫帆のハンパない“大声”
第5回女芸人日本一決定戦「THE W」を制したオダウエダ。最終決戦は、わかりやすくて“王道”の天才ピアニスト、“映像視覚効果を駆使”したAマッソ、そして“マニアック”なオダウエダという全く色の違う3…
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オール巨人さんの勧めで事務所入り「よかったら考えみて」の軽い一言に隠された真意
「M-1グランプリ」の審査員を昨年限りで勇退されたオール巨人さん。古希を迎えられた現在も若い頃と変わらぬパワフルな舞台を務めてらっしゃいますが、決勝戦の1週間前から禁酒、芸人の言葉を一言たりとも聞き漏…
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「天才ピアニスト」はピアノは弾けないが漫才もコントもできる両刀芸人
今年のM-1グランプリは、錦鯉の優勝で幕を閉じましたが、その前に行われた女芸人日本一を決める「THE W」では惜しくも優勝を逃したけど、年々着実に力をつけてきているのが天才ピアニスト。NSCの同期生…
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オール阪神・巨人との“長い一日”「マンザイズハイ」のまま本番で新ネタを披露
今週末は「M-1」決勝。審査員をつとめる巨人さんは若手のネタを一瞬たりとも見逃さぬよう1週間前からアルコールを断ち、体調を万全に整える。そのくらい審査員をされる時も真剣で「長丁場やし、体力的にキツい…
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インディアンスは“前に前に”の騒々しい漫才から少しずつ力みが抜けて…
去年の「M-1グランプリ」では敗者復活から勝ち上がり、今年はストレートで決勝へ進んだインディアンス。NSC在学中はそれぞれ違う相方と組んでいました。同期で今回初めてM-1決勝に進んだロングコートダデ…
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今いくよ・くるよさんが提案した打ち合わせは「テッチリしながらネタ考えましょ!」
新大阪ー東京間の新幹線往復に新ネタの打ち合わせのために同乗したエピソードを書きましたが、もうひとつ思い出しました。 30年近く前……東京のテレビ収録用のネタ作りを前日になんばグランド花月の楽…
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間寛平さんは本当に走るのが好き 開演30分前になってもランから戻らず…
「アヘアヘアへアへ……」「かい~の」などのギャグでおなじみの間寛平さん。コロナ禍の中、1年遅れで「芸能生活50周年+1記念公演」も終えられました。本来なら“師匠”とお呼びしないといけないのですが、数年…
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江戸の庶民が本当に目の前にいるかのような“志ん朝ワールド”を舞台袖で体感
初めて生の高座を拝見したのは、1990年代の半ば、吉本の劇場で定期的に行われていた笑福亭仁鶴師匠との「仁鶴・志ん朝二人会」でした。 一面識もありませんでしたが、仁鶴師匠に可愛がっていただいて…
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「唄子・啓助」の夫婦漫才で一世を風靡…京唄子師匠に感じた強く深い“漫才愛”
1950年代から鳳啓助師匠との「唄子・啓助」の夫婦漫才で人気を博し、「おもろい夫婦」での名司会、のちに離婚されても変わらずコンビを続け、生涯相方は啓助師匠だけでした。最近ではドラマ「渡る世間は鬼ばか…
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ウクレレ漫談・牧伸二師匠「あ~やんなっちゃった~」誕生秘話
20年以上も前、ウクレレ漫談でおなじみだった牧伸二師匠に、「あ~やんなっちゃった~」誕生秘話を伺ったことがあります。 ギャグやフレーズというのは私の知る限り偶然やアドリブでできることが多いよ…
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海原小浜師匠の強烈な“芸人根性”…心臓発作でも人前では決して弱みを見せない
1960年代から70年代にかけて女流漫才で一世を風靡し、60代以上の関西人なら知らない方はいらっしゃらないほどメジャーな存在なのが「海原お浜・小浜」師匠。お浜師匠は、私がプロになる以前に引退されてい…
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宮川大助・花子<3>花子さんは周囲の気遣いに感謝「知らんふりして“乗っかって”た」
大助さん中心のしゃべりだったデビュー当初(1980年ごろ)から試行錯誤を重ね、現在の花子さんが一方的に圧倒する「かかあ天下漫才」のスタイルへ変貌していくと共に、各種の新人賞を総なめにするなど人気と知…
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宮川大助・花子<2>「なんべん言うたらわかんねん!」と花子さんをスパルタ指導
大助・花子さんに初めてお会いしたのは1983年4月、「近代漫才の父」といわれる漫才作家の故・秋田実先生が主宰の「笑(しょう)の会」に参加させていただいた時でした。演者と作家の若手同士がコラボし、互い…
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宮川大助・花子<1>歩くことすらままならなくても舞台に立ち続ける芸人根性に感服
2019年6月から症候性多発性骨髄腫で休養をされている宮川花子さんと愛妻をかいがいしく看病されている宮川大助さん。 最初は「腰が痛いねん、あかんわ年やな~」「蹴つまずいてコケましてん、ぶさい…