萩本欽一(13)母のおかずはみんなが残した魚の骨「真っ白になるまでしゃぶっていた」
作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。
◇ ◇ ◇
増田「まさに渡りに船ですね」
萩本「そうそう。その豆腐屋のオヤジがさ『2階に3畳の部屋があるからさ、アルバイトしてくれたらその部屋に住んでいいよ』って、話がすぐ決まった。それで豆腐配達しながらその家賃3000円の部屋に住むことに」
増田「当時の3000円っていったら現在の3万円ぐらいですか?」
萩本「えー、ラーメンが50円ですから」
増田「今のラーメン、1000円も普通になってきましたからね。15倍から20倍として4万5000円から6万円といったところですね」
萩本「うん。当時、兄ちゃんのお給料が大学卒で1万2千円。えー、20倍ぐらいだね。いろんなものを引かれてそうですね。サラリーマンって1万2千円でいろんなもの引かれたら1万円ぐらいかい? で、家賃は姉ちゃんが不動産屋だったんで、その不動産屋さんが住んでいいっていうんで、家賃はなかったから。みんなの食べれる分が1、2、3、4人、5人が食べるのが兄ちゃんの1万2000円」
増田「萩本家解散の原因というか根本的な理由はそこにあるんですね」
萩本「うん。兄ちゃんのお金でみんな食ってるのに、兄ちゃんが『俺には青春がない』って。『やっと就職したら俺のお金でみんな食ってる』って。たしかにいくらなんでもね。それでは青春がない」
増田「お父さんはその時は?」
萩本「親父はただ逃げ回ってるだけ。その時にはもう存在しないですね。誰も親父のこと言葉にすらしないんで。それは借金を持って逃げ回ってた。逃げ回ってたんだか、やってたんだかよくわかんないですね。えー、そのころ話は聞いたことないですね」
増田「でもいらっしゃらなかったわけですね」
萩本「えっ?」
増田「いらっしゃらなかったわけですね、その時はもう」
萩本「いや、もともと一緒には住んでなかったですから。週に1回帰ってきて、偉そうにそっくりかえって、『俺は
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,333文字/全文2,263文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】
今なら!メルマガ会員(無料)に登録すると有料会員限定記事が3本お読みいただけます。


















