金鳳花のフール
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(36)運命までがぼくを誤解している
綾瀬は窓辺に立っていた。 「何か質の悪いものに取り憑かれたのか、先祖の因果が巡ってぼくを貶めようとしてるのか。ぼくは平凡に生きたい。馬鹿笑いをする悪夢は絵の中だけでたくさんだ。運命までがぼくを…
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(35)巨大たこ焼きの大崩落で被害は甚大
直径二キロメートルのたこ焼きが五つ出現したらどうなるか。焼き立ての熱々のたこ焼きだ。綾瀬と麦はそれによって起こる都市の被害状況を想定してみたものだ。 五つのたこ焼きは自重に耐えきれず崩れる。…
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(34)お兄ちゃんは金鳳花だね
「髪、ボブにしちゃったからまとめ髪にしにくいの。ボブの野球帽も可愛いでしょ」 麦は悪戯っぽい視線を送って来る。綾瀬は心の中を読まれていた。 「今日は意地でも来てやらないと思ったけど、やっ…
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(33)19歳の臭いが鼻孔をくすぐる
まったく憶えがない。 綾瀬は蜥蜴の皮をかぶった太陽の話を妹にしていたのだ。記憶から抜け落ちているのは何度もその話を口にしていないということだ。 ただ一度だけ、精神の迷路が解かれて綾瀬…
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(32)トカゲの皮をかぶって昇る太陽
綾瀬は瞼を指で押さえた。稽古場の見学を頼んでおいてすっぽかした。麦の面目も丸つぶれだ。彼女は劇団の主宰者にどう言いわけをしたのだろうか。綾瀬は麦に電話を入れた。麦は応答しなかった。綾瀬はパソコンの前…
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(31)帰りは無愛想な胎児が運転手
水子の郷を去るとき、多少の混乱があった。 タキグチに急な任務ができ、綾瀬を送り届ける役割を果たせなくなったのだ。 「申し訳ありません。帰り道は御同行できなくなりました」 タキグ…
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(30)閃光が立ち木を裂き、鼓膜をいたぶる
綾瀬の記憶という血液の中には不凍性の物質が含まれているのだろうか。それならば体験は今も生生として彼の脳を循環しているはず。 記憶は怪物である。人を翻弄し、ときには人を食らい、人を操る。羊水の…
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(29)壁には点描の異種混合動物画
それぞれの絵は未熟だが無自覚の底意が居座っている。描線の行方は予測不能で形を判別しにくい。頭が三つある野牛の絵かと思えば、それが星座だったり、鳥と見えたのが何人もの人間が絡まってダンスをしている絵だ…
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(28)樹皮屋根の蟻塚4棟の集合住宅
互いの体にロープを結びつけ、引っ張りっこをしている胎児がいる。妊娠十週ほどでこちらに流れて来た水子だ。 「ぼくもあんな風に祭りの日に遊んだんでしょうか」 綾瀬は力比べをする少年に目をや…
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(27)水子と現世の両親との交流計画
タキグチは言葉をつなぐ。 「ともかく、こちらには現世から送られて来た罪人が矯正施設で暮らしている。彼等は年に何度か外出が許されます。むろん監視つきでね。胎児達は彼等を敵視してもいけないが接触し…
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(26)群がれ、広がれ、水に満ちよ
村人の足の間を鶏や豚がうろついて土にまぎれた餌を探している。広場は家畜の糞だらけである。焚き火を囲んで酒盛りの真っ最中のグループもいる。彼等は肩を組んで歌っていた。綾瀬はエミューの言葉を思い出す。 …
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(25)低い山に囲われた集落 水子の郷
綾瀬は関節を患った男の動作で半身を起こした。皮膚にゼリー状の皮膜が張り付いている感触が残っていたが、羊水の臭いは消えていた。立ち上がるとそこは丘の上だった。眼下に眺望が開けていた。低い山に囲われた集…
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(24)素焼きの壷と同じ肌の車
水子の記憶は母親の記憶──。綾瀬にはエミューの思念が転移されていない。綾瀬が水子の国で画布に向かっていたとき、彼の大脳はエミューの体験を留めていたのだろうか。 現世の人となった今、彼の脳味噌…
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(23)胎児から産児の姿になり現世へ
綾瀬は言った。 「エミューはどうしていたんですか」 「彼女はアパートの部屋で倒れていました」 タキグチは立ち上がり、綾瀬のそばへ寄った。 「エミューは流産していました。綾瀬…
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(22)世にもまれな悪党、赤松幸子
エミューの足取りは定まらない。 そんなある日、エミューは一人の女に声をかけられた。年の頃は二十代後半だろうか。すらりとした背丈で目元に温かみがあった。エミューは自分に似ていると思った。 …
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(21)訪ねた診療所はとうの昔に廃業
タキグチはアトリエの椅子に腰を下ろしている。巨体で椅子が隠れているため彼の体は空中浮揚をしているように見えた。 「彼女がぼくを身ごもったところまでは聞きました。それから先は彼女も言葉がつかえて…
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(20)巨人の才槌頭が後をつけて来る
綾瀬はリュックを担いでいる。画帖と絵筆、それからワインが入っている。ワインは劇団主宰者への土産だ。 背後に気配があった。 誰かが綾瀬の後をつけて来る。ちらりと振り向くと大柄な男の姿が…
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(19)ジロット社のペン先は異国の香り
綾瀬は絵の制作でペンを多量に使う。ペンの消耗度が高いのだ。一本の付けペンを何か月も使い続けるイラストレーターもいるようだが、綾瀬の場合は常に新しいペン先でないと納得のいく描線にならない。 彼…
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(18)鉛の箱に入った心臓が必要だ
綾瀬は支払いを済ませた。額におさめられたカヌーの写真がメニューのボードに並んで壁を飾っている。 「パーセル」のシェフは手作りカヌーのスペシャリストでもあるのだ。カヌーに料理、それから成就はしな…
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(17)血液中のワインが血管を駆け巡る
シェフが言った。 「向こうにいる間、おれは毎日ルガーを玩具にしてた。日本に帰るときは海に捨てたがね。だからおれは上着の胸のふくらみ具合でルガーがわかるんだ」 「彼女をこの店に連れて来なき…