広島「松田帝国」が崩壊危機…小園海斗ら4人を切り捨て、球団トップは居座る“恐怖支配”の末路
松田家が半世紀にわたって球団経営を支配
球団内で選手の士気低下がささやかれる中、4番の坂倉と左右のエースである床田、森下まで流出するようなら、いよいよチームは崩壊だ。
そんな中、改めて問われるのが長年続いてきた松田家中心の球団経営だ。カープは戦後復興の象徴として1949年に誕生。当初は特定の親会社を持たない市民・県民球団としてスタートした。しかし、慢性的な経営難に陥り、55年には東洋工業(現マツダ)の松田恒次氏が球団再建を主導。その後、62年に球団社長に就任し、67年には球団名が「広島東洋カープ」に。東洋工業が球団運営の中心を担った。恒次氏の死後も松田家による経営は続き、長男の耕平氏、さらに2002年からは耕平氏の長男の元氏がオーナーに就任。13年には元氏の甥にあたる一宏氏がオーナー代行に就いた。「市民球団」と呼ばれる一方、半世紀以上にわたって松田家が球団経営の中枢を担い、実権を握ってきた。
それだけに球団内でオーナーの権限は絶大だ。
「松田オーナーのお気に入りの選手やOBは優遇される。今のコーチ陣にもそういう人間が少なくない。能力よりもコネが重視されるから、コーチもイエスマンになりがちです。16年に25年ぶりのリーグ優勝を果たし、3連覇を達成できたのは、黒田博樹らベテラン、菊池涼介、丸佳浩ら中堅、鈴木誠也ら若手と、能力のある選手が揃っていたから。選手層が薄い今は、同じやり方では勝つことは難しい」(前出のOB)
これまで松田家によるトップダウン型の経営が球団を支えてきた一方で、周囲が異論を唱えにくい「恐怖支配」ともいえる体制に、ひずみが生じているというわけだ。
鈴木本部長は球団としての責任について「責任があると思われ、追及されるなら追及してください」と開き直り、松田一宏オーナー代行は「来季、一丸となって戦っていくことで責任を果たしたい」と言った。選手には「信頼関係」を理由に責任を取らせる一方、球団トップは残って「一丸となって戦う」ことが責任の取り方だというのだが、小園ら4人を切れば、それで再び「一丸」となれるのか。
半世紀以上続いてきた「松田帝国」の統治そのものへの信頼がいま、大きく揺らいでいる──。


















