巨人の「織田翔希1位強行指名」と28年前の「松坂騒動」…横浜希望が一転、西武入りした経緯を振り返る
28年の時を経て、横浜高の剛腕が再び難しい選択を迫られている。
米球界挑戦を表明した横浜高の織田翔希投手(18)を、巨人が22日のドラフトで単独1位指名した。本人が15日の会見で「アメリカの地で挑戦することに決めました」と決意を語ったわずか1週間後の強行指名だった。交渉権を獲得したとはいえ、進路を自ら決めた高校生に待ったをかけた形だ。横浜高との今後の関係への影響も懸念される中、巨人はあえて交渉権を取りにいった。
ところが、横浜高から巨人への怒りや非難は聞こえてこない。
村田浩明監督(40)はドラフト直後、「強行指名はあるぞ」と本人に伝えていたことを明かし、「ある意味、想定内」と説明した。織田投手の米国挑戦については「本人の意思は全く変わらない」と強調した一方、巨人の指名を批判する言葉はなかった。同じく巨人から3位指名された池田聖摩については、「素晴らしいタイミングで、素晴らしい球団に獲っていただいて、本当に感謝しかない」と謝意を口にすれば、25日の関東大会準決勝後に松井秀喜新監督(52)の就任について問われると、「びっくりしました。僕の小さいころの代表するホームランバッターですから。松井さんなの?と」と、敬意を表してみせたのだ。
織田については「これからアメリカの球団との面談」と、米国への道を優先する方針を繰り返しているが、巨人との交渉を一切受け付けないとは、一言も言っていない。
横浜高が本人の希望に反するドラフト指名に揺れたのは、今回が初めてではない。28年前の1998年、春夏の甲子園を連覇した松坂大輔(当時18)を巡るドラフト騒動である。
同年11月5日、松坂は退部届を提出して臨んだ会見で、「自分の中で意中の球団が決まっている。1球団に絞ってます。それ以外の球団なら社会人に行きたい」と宣言した。地元の横浜ベイスターズを〝逆指名〟した形で、当時の渡辺元智監督も本人と両親の意思を尊重する姿勢を崩さなかった。
しかし、11月20日のドラフトでは横浜、西武、日本ハムの3球団が競合し、交渉権を引き当てたのは西武の東尾修監督だった。松坂は直後の会見で、社会人に進む気持ちは「変わっていない」と繰り返した。言葉だけを聞けば、西武入りは絶望的に映る。
それでも松坂は、西武との交渉を「礼儀ですから話は聞くつもり」と拒絶しなかった。春の時点では本紙の取材に巨人と西武を好きな球団に挙げていた。家庭の経済的事情を背景に、松坂氏のプロ志向が強かったともいわれた。「希望球団以外なら社会人」という意思を示しながらも、指名球団との対話まで閉ざしたわけではなかった。
西武が11月下旬に横浜高を訪問すると、黒土創校長は「本人の一番いい道になることを願っているだけです。どうぞ交渉を始めてください」と歓迎した。松坂はその時点でなお、社会人入りを口にしたが、「社長に来ていただいて誠意は感じました」とも話した。
学校は本人の希望を尊重する立場にあった。しかし、そのことは別の選択肢を最初から排除することを意味しなかった。本人の意思を尊重しながら交渉の場を設け、相手の誠意を見極める。松坂と横浜高は、社会人入りの意思と西武との交渉を並行させたのである。
そこから事態は動いた。


















