広島・新井監督を叱咤激励「試合前に相手チームの選手とバカ笑いしている場合じゃない。厳しさを見せよ」
阪神と巨人が熾烈な優勝争いを繰り広げるセ・リーグにあって、最下位に沈むのが広島だ。今季は不祥事も発覚し、苦戦を強いられる中、南海、広島、巨人で20年間のプロ野球人生を送り、1991年の広島のリーグ優勝を知る強打の捕手・西山秀二氏が9月30日に「赤き球団の魂」(ザメディアジョン)を上梓する(写真)。長年、広島の正捕手として君臨した達川光男氏の後継者として背負った重圧、就任5年目となる来季続投が決定した新井貴浩監督の若手時代の血のにじむような練習、中学時代の同級生で元巨人のエース・桑田真澄氏と23年ぶりに組んだバッテリー秘話などをつづったもの。西山氏に話を聞いた。
◇ ◇ ◇
――上宮高から85年のドラフト4位で南海に入団、2年目に広島にトレードされた。
「驚きましたが、南海が(広島の)森脇浩司さんを欲しかったそうです」
――トレードに戸惑いは?
「南海の本拠地・大阪球場はガラガラ。寮やロッカーも古かった。試合当日は球団から800円の食券をもらって選手レストランで食べる。足が出た分は自腹で、給料から引かれていました(笑)。人気のセ球団に移れてうれしかったですね」
■市民球場には高級外車ズラリ
――当時は人気のセ、実力のパといわれた。
「広島市民球場はいつも満員で観客の熱気が凄かった。広島の選手の車は、ベンツやポルシェなど高級外車がズラリ。南海の選手は国産の古い車か電車で通っている選手が多かった。これがプロ野球選手なんやと(笑)」
――思い出深い投手は?
「大野豊さんのパームボールのキレ、北別府学さんは制球力。北別府さんは1センチ単位の出し入れで勝負する。球審に外角低めのスライダーを『ボール』と言われると、意地になってスライダーを1センチ内側に入れる。次の球も1センチ内側へ。あれほど絶妙なコントロールを持った投手はいません」
――当時、広島の正捕手には達川光男さんが君臨。
「プロ6年目、移籍5年目の91年に初めて優勝を経験しました。僕は3番手捕手でベンチ入りして、左投手に強かったこともあって、代打やスタメンで出ることも。西武との日本シリーズでは第1戦は『6番右翼』、第5戦は『6番三塁』でスタメン出場しましたが、達川さんの壁は高かった」
――達川さんからレギュラーを奪ったきっかけは?
「92年に『捕手はしんどいので三塁か右翼で構いません』と首脳陣に直訴したのですが、開幕戦で達川さんがケガをしたのでマスクをかぶることに。結局、79試合に出場しました。達川さんはその年限りで引退を決断された。翌年は110試合にほぼ捕手として出場し、ようやくレギュラーの座をつかめた感じです」


















