語り部の経営者たち
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ダイオーズ 大久保真一社長<4>家業の米穀店を日本一にするべく「配達スーパー構想」
家業の米屋を日本一にするために、大久保氏は渡米前から準備を始めていた。全国の米穀卸売業者が組織する全国食糧事業協同組合連合会(全糧連、現・全国米穀販売事業共済協同組合)の本部に「欧米での研修から帰国…
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ダイオーズ 大久保真一社長<3>“海外の夢”を捨てきれず渡米、現地で流通の仕組みを学ぶ
大学卒業後は海外で働きたいと考えるようになった大久保氏。しかし、1960年代初め頃に海外進出している企業は商社ぐらいだったという。 「だから就職活動では商社ばかり受けましたが、英語が苦手だった…
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ダイオーズ 大久保真一社長<2>得意の簿記を生かし中央大商学部に合格
高校に進学した大久保氏だったが、当初は予定が3年ずれただけで卒業後は大阪に奉公に出るつもりだった。しかし、高校生活を送るにつれて心境が変わっていく。 「商業高校なので簿記の授業があるんですが、…
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ダイオーズ 大久保真一社長<1>日本初のオフィスコーヒーサービスを展開
仕事中のリラックスタイムや眠気覚ましに重宝されているオフィスコーヒー。従業員満足度向上のための重要なツールでもあるオフィスコーヒーのサービスを、日本で初めて展開したのが株式会社ダイオーズだ。 …
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マッチングワールド 町田博社長<7>「欲があるから前に進んでいける」
在庫を売りたい企業と買いたい企業を独自のプラットフォームで結びつけるマッチングワールド社の「M―マッチングシステム」。そのサービス内容を改めてチェックすると、いかに「業者ファースト」に徹したシステム…
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マッチングワールド 町田博社長<6>リーマン・ショックの窮地を救った海外取引
在庫をITで結びつける独自の「M―マッチングシステム」を提供しているマッチングワールド社。ゲームやオモチャなど約37万アイテムを扱い、売り手と買い手合わせて6000社が登録している、流通業者向けの巨…
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マッチングワールド 町田博社長<5>52歳の時、妻と息子の3人で会社を立ち上げる
商品を売りたい企業と買いたい企業をITで結びつける独自の「M―マッチングシステム」を提供しているマッチングワールド社。ゲームやオモチャなど約37万アイテムを扱い、売り手と買い手を合わせて6000社が…
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マッチングワールド 町田博社長<4>46億円の不良在庫を抱えて倒産
マッチングワールド社は、商品を売りたい企業と買いたい企業をITで結びつける注目企業だ。提供している「M―マッチングシステム」は、ゲームやオモチャなど約37万アイテムを扱い、売り手と買い手合わせて60…
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マッチングワールド 町田博社長 <3>運命の商品「ファミコン」と出会う
商品を売りたい企業と買いたい企業を結びつけ、流通での余剰在庫の解消を目指す「M-マッチングシステム」を提供しているマッチングワールド社。ゲームやオモチャを中心に約37万アイテムを扱い、売り手と買い手…
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マッチングワールド 町田博社長<2>吃音のハンディがあったが、営業本部長まで出世
創業社長の町田博が率いるマッチングワールド社は、余剰在庫を売りたい企業と買いたい企業を結びつける「M―マッチングシステム」を提供している。現在、ゲームやオモチャを中心に約37万アイテムを扱い、売り手…
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マッチングワールド 町田博社長<1>在庫解消の画期的システムを開発
スマホでクリックすれば、何でも物が買える時代。しかし、その商品がどこから来て、どこへ売られていくか、完全に理解している消費者は少ないだろう。一般的にはメーカーから1次問屋、2次問屋を経て、ECサイト…
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アサヒグループHD 勝木敦志社長<4>NZで「つかまされた…」が泣き寝入りせず
「総合酒類化の次は、国際化でした。日本の生産人口は減っているため、急がなければならなかった」 M&A(企業の合併・買収)の対象は、国内企業よりも海外企業に重点が置かれていく。 天津に本…
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アサヒグループHD 勝木敦志社長<3>アサヒビールへの出向に不安「何をやらされるんだろう」
「俺たちは終わったな」 「アサヒでは、何をやらされるのだろう……」 2001年3月末、東京・港区の場末のバー。勝木は4人の同僚と悲しい水割りを飲んでいた。どんなに濃くしても、押し寄せる明…
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アサヒグループHD 勝木敦志社長<2>平日に営業、土日に内勤…すべてが仕事でした
1984年、ニッカウヰスキーに入社して最初に配属されたのは、本社の経理部財務課。資金繰りのための銀行との折衝にはじまり、手形や小切手を扱う。 「経理に配属されたのは入社試験の成績がよかったから…
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アサヒグループHD 勝木敦志社長<1>高3で麻雀ざんまい、2浪して青学大へ
父親は室蘭工業大学で物理学を教える教授、母親は岩見沢市内で酒屋を切り盛りしていた。このため、父親は40年近く室蘭に単身赴任していたそうだ。また、4つ年上の兄がいた。 小学6年生の秋、盲腸が破…
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バンタン 石川広己顧問<7>重要な局面にある時ほど意思決定を早くして行動に移す
1965年の創立以来、ファッションからゲーム、動画制作まで、幅広い分野で次世代のクリエーターを育成する実践スクールを運営してきたバンタン。業界の一線で活躍するプロが講師を務め、高卒資格も取得できる高…
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バンタン 石川広己顧問<6>「創り上げたものを一度捨てよ」スケール事業を離れる
バンタンは1965年の創設時から、10代の若者や20代の社会人などを対象に次世代のクリエーターを育成する実践スクールを展開している。ファッション業界では84年にブランドを立ち上げた白浜利司子氏や、7…
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バンタン 石川広己顧問<5>パティシエ養成に着手 分からないことがあればやってみる
ファッションから動画制作まで幅広い分野で、次世代のクリエーター育成のための実践スクールを運営するバンタン。その多角化への転機となったのは、1991年にゲームの実践スクールをいち早くスタートさせたこと…
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バンタン 石川広己顧問<4>ファッションブームが去りゲーム業界に着目
バンタンは「世界で一番、社会に近いスクールを創る」を目標に掲げ、今年で創立56年を迎えている。今では次世代のクリエーターを育成する実践スクールとしてファッションをはじめ幅広い分野をカバーしているが、…
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バンタン 石川広己顧問<3>「世の中の当たり前を壊す」創業者・菊池織部との出会い
1965年、バンタンデザイン研究所は恵比寿の狭いガレージに若手クリエーターを集め、第一線で活躍するデザイナーなどを講師に招いてスタート。当時はまだデザイナーという言葉すら浸透していない時代だったが、…
