あの頃、テレビドラマは熱かった
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小林聡美のGP帯連ドラ単独初主演作 アイドルには出せない“味”の虜に
「15年」ともなるとさすがに“平成”も馴染んできた2003年。ドラマは1月期のTBS系日曜劇場「GOOD LUCK!!」が平均視聴率30%超え(最終回は驚異の37.6%)を叩き出し、キムタクのパイロッ…
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「連ドラの王様+お笑い怪獣+恋愛の神様」でも視聴率30%超えならず
日韓共催のサッカーW杯が熱かった2002年。この年最大のヒットとなった連ドラは、W杯フィーバーのさなかである4月クールに放送されたフジテレビ系月9「空から降る一億の星」だ。 00年の「ビュー…
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「ケイゾク」後の中谷美紀が斬新な学園ドラマに
新世紀最初の年、最初のフジテレビ系月9に大ヒットドラマが生まれた。前年の1月期にTBS系日曜劇場で常盤貴子とダブル主演したキムタクの「ビューティフルライフ」が平均視聴率32.3%の記録的ヒットとなっ…
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“バリキャリ”役の飯島直子が、停滞気味だった月9再浮上のきっかけになった
7の月に大魔王は降りてこず、Y2K問題も大きなトラブルもなく年を越して2000年。20世紀最後の年のドラマは、1月クールの木村拓哉主演「ビューティフルライフ」(TBS系)、10月クールの松嶋菜々子主…
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藤原紀香が時代が求めた「セクシーでかっこいい女」を体現して見せた初主演ドラマ
ノストラダムスの大予言に恐れおののいていたかつての小学生も、“Y2K問題”や“Amazon”に脅威を感じるような、おっさんの入り口に立っていた1999年。 世紀末だからか知らないけど、99年…
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松岡昌宏のその後を決定づけた“ウラ代表作”
1998年もフジテレビのドラマは強かった。反町隆史の「GTO」は全話平均28.5%でこの年の全体でトップ、江角マキコの「ショムニ」と深田恭子&金城武の「神様、もう少しだけ」はともに18%台スタートか…
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ドル箱に押し上げた原点は“ネット”の力
金融危機と消費増税で財布のひもは固くなったが、テレビは熱かった1997年。SMAPを筆頭にジャニーズ勢が番組表を席巻する一方で、98年サッカーW杯フランス大会の最終予選でサッカー界も熱かった。 …
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内田有紀は「人気の割に数字が取れない」
1996年春、フジテレビの月曜夜に伝説が生まれた。月9「ロングバケーション」、そして10時には「SMAP×SMAP」。すでに若者の間で大人気となっていた木村拓哉は以降“月9の帝王”となり、SMAPは…
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土9「ジャニーズ劇場」は堂本剛から始まった
1995年は激動の年だった。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が立て続けに起き、社会全体に不安と重苦しさが広がる一方で、女子高生は元気だったし、街にはWindows95発売による「インターネット元年…
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ハマコー出演ドラマが「コナン」ヒットにつながった?
最高視聴率30%超えが5作と、ドラマが大豊作だった1993年。その5作がTBSとフジテレビで占められ、日本テレビは蚊帳の外だった。 が、翌94年、テレビ史に残る大ヒット作が生まれる。 …
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主役の筒井道隆より月9初出演のキムタクに熱視線
リストラの加速や就職難、バブル崩壊が、その恩恵を受けていなかった層にも影響してきた1993年。逆にテレビは「無料の娯楽の王様」として君臨していた。 各クール、新番組が始まるたびに「制作発表会…
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今なら炎上必至も…大多亮プロデューサーのリアルな言語感覚
バブル景気が崩壊し、就職氷河期の入り口でもあった1992年。この年の1月、フジテレビの月9と並んで高視聴率ドラマを連発していたフジ木10の“木曜劇場”で放送されたのが、「愛という名のもとに」だ。 …
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片岡鶴太郎初主演作の“視聴率以上の意味”
1991年のフジテレビは絶好調で、1月期の月9「東京ラブストーリー」は最終回に視聴率30%超え。若年層の心を捉えたフジの“プロデューサー主導システム”が成功する一方で、黄金期の手法をひきずっていた“…
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W浅野は温子よりゆう子が「謙虚だった」
「波うららかに、めおと日和」のほんわか路線から一転、高校教師とホストの禁断の恋を描く「愛の、がっこう。」を放送中のフジテレビ木曜劇場。37歳にしてフジ連ドラ初主演という木村文乃に注目して見ていたら、な…
