お与津御寮人(2)「朝廷の婚姻慣行」と「武家の婚姻秩序」が衝突した
前回の続きです。朝廷メンバーを幕府が処罰した。そこにはもちろん「政治」があったでしょう。徳川将軍家は朝廷を自らの秩序の中に組み込もうとしていました。ただ、秀忠がためらいなく処断に踏み切った背景には、もうひとつ、武家社会の婚姻をめぐる常識もあったように思います。「殿から娘を賜る」…
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