お与津御寮人(1)単なる宮中の恋愛沙汰では済まなかった
「お与津御寮人事件」と呼ばれる一件があります。元和4(1618)年、お与津御寮人こと典侍・四辻与津子が後水尾天皇の皇子を出産し、翌年にも第2子を出産しました。
典侍を少し解説しましょう。天皇の身の回りの世話をする女性たちが「内侍」です。律令にも規定された正式な女官で、男性貴族が任じる官職と同じく四等官制をとりました。上位から尚侍(ないしのかみ)、典侍(ないしのすけ)、掌侍(ないしのじょう)と続き、「ないしのさかん」は置かれませんでした。
尚侍は平安時代後期から空席が常態となったため、典侍が事実上のトップです。定員は4人で、大納言や中納言など一流貴族の娘が任じられました。
掌侍は定員6人で、天皇が移動する際には剣と璽(勾玉)を捧げ持って随行しました。第1位の掌侍は「勾当内侍」または「長橋局」と呼ばれ、朝廷の政務にも関与しました。文学作品にもよく登場する存在です。
典侍は天皇の側近くに仕えるので、天皇と男女の関係になることも普通にありました。皇子や皇女を産み、その皇子が皇位に上ることもあります。

















