保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(80)私たちは戦時用語と非戦時用語の差異を理解する必要がある
戦時に用いられる用語について、これまでに検証しながらあの太平洋戦争を俯瞰してきた。意外なことに気が付かされたのではないだろうか。日本語は割合、その性格が明確であり、戦時用語は平時の時にはほとんど使わ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(79)天皇免責の証言よりも重かった東條英機の「プライド」とは
東條英機は、日頃から天皇に忠実な臣下の代表者として自負していた。自らが首相、陸相などいくつものポストを抱えて戦争指導を行ったのは、余人に天皇への面談を拒否する意味もあった。その東條が、敗戦後に「天皇…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(78)「天皇を免責するためには、あなたの証言が重要である。自殺はしないように」(下村定陸相)
銃声に対してMPの兵士たちも銃を乱射した。玄関の扉が壊され、兵士たちは東條家の応接間に入り込んだ。そこに映ったのは、応接間のソファに座り、首を垂れている東條英機の姿であった。日本人記者がすばやく部屋…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(77)東條英機は戦陣訓をつゆとも意識せずに自決を図った
戦陣訓は兵士には死を要求するが、自らは死を貫徹しない。実は戦陣訓は残酷な現実を教え込んでいる。そのことについても触れなければならない。 繰り返しにもなるのだが、私の戦陣訓の疑問の3点の第1は…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(76)法規よりも東條陸相の示達が優先しようとした傲慢さ
戦陣訓が形を作っていくプロセスの中に凝縮されている特徴とは何か。すぐにお分かりのことと思われるのだが、昭和10年代の軍事機構は全くの官僚組織になっていたと言っても良いであろう。省部の要職を占める軍官…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(75)東條英機の「戦陣訓」作成に協力したという徳富蘇峰、島崎藤村
「戦陣訓」の作成プロセスをみると、長期化する日中戦争における日本軍内部の士気の低下や戦場での規律違反、ひいては捕虜になることへの抵抗がなくなっているかのような状態に対して、軍事機構の指導者層には次第に…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(74)ジュネーブ条約の精神に相反する「戦陣訓」を発した東條英機の反天皇性
「戦陣訓」は、天皇の大権に抗する不穏な文書ではないか、というのが私の理解である。どういう点が、そしていかなる形の不穏さを抱えているのかを具体的に考えてみる必要がある。一陸軍大臣が兵士に向かって、戦場で…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(73)「捕虜になるな」「勝つまで戦え」は越権行為ではなかったか
「生きて虜囚の辱を受けず」は、実は陸海軍の大元帥であり、いわば統帥権の総攬者である天皇に対する背反行為であり、許されざる憲法違反ではないのか、という視点での論述はむろん私もほとんど目にしたことはない。…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(72)「生きて虜囚の辱を受けず」の罪深さ
改めて「戦陣訓」を読んでみよう。天皇の大権を侵しているのではと思いたくもなる一節とはどういうところなのか。検証してみる必要がある。 まず「本訓其の一」は、皇国となっていて、これも導入部は引用…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(71)皇国、皇道、皇軍の語が乱舞した「戦陣訓」
「戦陣訓」は、ある意味で「軍人勅諭」を意識しているし、示達者の東條には昭和の軍人勅諭の気負いがあったのかもしれない。戦陣訓の「序」は明らかに勅諭を意識しての記述である。そこには次のようにある。 …
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(70)東條英機はなぜ「戦陣訓」を示達したのか
ここで重要なことを指摘しておかなければならないのだが、明治15(1882)年1月に明治天皇の名によって発せられた「軍人勅諭」と昭和16(1941)年1月に陸軍大臣東條英機によって示達された「戦陣訓」…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(69)皇国史観の軍事指導者は軍人勅諭すら否定した
陸軍では新兵には必ず「軍人勅諭」を暗記させ、それを復唱できることが兵士の条件とされた。2700字に及ぶこの勅諭は、確かにあるリズムを持っていて、兵士たちに「皇国の神兵」としての使命感を要求している。…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(68)軍事指導者と連携した右翼言論人たち
昭和初年代の政党政治が確固としたシステムと内容を作り上げていたならば、軍事機構に付け入る隙を与えなかったであろう。ところが議会では与野党の対立がまるで児戯のようなありさまを演じたり、金解禁を巡って百…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(67)満州事変後に「皇国」はなぜ流布されていったのか
しかし実際には、日露戦争時の「皇国の興廃」という表現はそれほど使われることはなかった。明治30年代の戦争では、そこまで神がかりの戦争ではなかったのである。「皇国」という語よりも、むしろ「帝国」という…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(66)「皇国」という言葉が日本を神がかりにしていった
戦時用語という枠組みで、昭和のあの戦争時代を分析しているのだが、重要な意味を持つ語として、「皇国」を挙げておきたい。一言で言えば、皇国とは天皇が統治する国ということになるのだが、日本近代史の中では単…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(65)「昭和の大戦」「昭和の戦争」が意味するもの
戦時用語という枠内では大東亜戦争、戦後社会では太平洋戦争、この呼称を分析していくと、日本社会は呼称それ自体の中に思想や政治が持ち込まれていたことがわかってくる。しかし時代は戦後80年、昭和100年の…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(64)戦後80年、昭和100年の年に使うべき呼称とは
では新しい呼称はいかにあるべきか。この点について考えてみたい。改めて昭和の戦争総体を語る用語が必要になるのではないか。あえて私見を言えば、まだそのように語られていないにせよ、明治期の日清戦争、日露戦…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(63)「15年戦争」「アジア太平洋戦争」の呼び方のままでよいのか
太平洋戦争という語が戦後社会のオモテの言論として占領下では使われるようになり、そしてその後も一般的には用いられてきた。しかしこの意味は、太平洋戦争のみに重点があるように思えるとし、日中戦争をはじめ東…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(62)「大東亜戦争」と「太平洋戦争」という呼称にある共通点
昭和期の戦争の呼称が変化していくだろうと予測されるのだが、それが同時代史から歴史への変化という意味でもある。そして戦後社会を動かしてきたオモテの言論とウラの言論の境界を曖昧にして、新しい用語を生み出…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(60)「太平洋戦争」はいかに呼ばれてきたのか
前回紹介した(その1)のエピソードを見ても、戦争の呼称については大きく異なるケースがある。日中戦争でさえそうなのだから、太平洋戦争になるのならますます異なってくるのも当たり前と言っていいかもしれない…