保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(67)英国が上海に残したスパイの根っことは何か
イギリスの情報機関が戦後もなお注目していた上海での「根っこ」とは、具体的に何を指すのであろうか。それを推測してみようというのが、この稿の狙いなのだが、むろんそれは簡単に私たちの知識のレベルでは、わか…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(66)国際都市上海の租界地での情報工作
ゾルゲ事件を、全く別な視点から見ていくことにしよう。ゾルゲ事件に関わった人物の交わりは、上海に端を発する人脈と東京を拠点とする人脈に分かれる。ゾルゲと尾崎秀実の出会い、さらにはこの2人をつないだ「場…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(65)ゾルゲ事件の根っこは今も脈々と残っている
昭和史に関する私の取材ノートを整理して、「昭和史余話」と題する項目を基に連載を続けている。この40年余、昭和史探究にいそしんできたが、そこで真偽はともかく、さまざまな意見、出来事、見解、さらには秘匿…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(64)尾崎秀実にはソ連との連携が必要という世界観があった
尾崎秀実は国策の決定事項についても十分に知悉している。軍部の対米抗戦派が「10月中旬をめど」に外交交渉の決着がつかなければ、軍事行動を起こすことを知っている。誰が伝えたのか、尾崎はかなり面白い言い方…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(63)尾崎秀実の情報源は誰だったのか
ゾルゲ事件の日本側の中心人物である尾崎秀実の法廷証言を紹介しているのだが、その内容を吟味していくと見事なまでに、当時の政権中枢部の見解や認識と重なり合うことに驚かされる。前回は日本が対米交渉に失敗し…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(62)尾崎秀実は武藤章に理解を示していた節がある
尾崎秀実と武藤章は、近衛の私的ブレーンの集まりである朝飯会を通じて顔見知りであった。親しいと記述する書もあるが、それは正しくないと思う。顔見知り、どこかで会えば挨拶して、立ち話を行う程度の関係であっ…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(61)東條は武藤章のゾルゲ事件への関与を決めつけていた
東條英機と佐藤賢了ラインに抗する武藤章と石井秋穂ライン。この違いは表面的には見えてこないのだが、陸軍の政策をよく吟味していくと、肌合いの違いに気がつくのだ。武藤は近衛の朝飯会に出席していた。ゾルゲや…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(60)対米交渉を担った陸軍省のラインには対立があった
東條英機と武藤章は陸士の期別では、東條が17期、武藤は25期である。武藤が8歳ほど年齢が下になる。2人が年齢的に正面から対立するほどの立場に立つことはない。従ってその対立は、栄達をめぐる対立ではなく…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(59)ゾルゲ事件で陸軍の政治を担う勢力図が変わった
私が感じた歴史の怖さは憲友会の幹部(戦時下の佐官)の証言にあった。以下のような内容であった。 「君の想像していることは大体わかる。陸軍省の軍務局長の武藤章さんが、ゾルゲ事件の尾崎秀実に情報を漏…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(58)近衛の知的ブレーンは軍部の追認機関に変質していく
朝飯会でもたらされた武藤情報は、こうして尾崎秀実によってコミンテルンに伝えられた。もとより武藤は詳しい内部事情を簡単には口にしなかっただろうが、武藤の近衛に対する一定の礼節は、他の軍人とは異なった重…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(57)政治的軍人だった武藤章が朝飯会で目論んだこと
近衛文麿の私的ブレーンである朝飯会は、本来知識人の勉強会であった。そのメンバーの知的水準は当時の日本社会では並外れたレベルであった。そこに目をつけたのが陸海軍の軍務局長であった。陸軍の武藤章、海軍の…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(56)軍部への抵抗を誓い合った近衛周辺の知識人の勉強会
近衛首相の知的ブレーンの集まり、「朝飯会」は、近衛の個人的な知識人好みを反映している勉強会であった。そのメンバーと一部交錯するのだが、近衛の親友である後藤隆之助が主宰する昭和研究会は、朝飯会の政策プ…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(55)近衛の総辞職を知っていた吉河光貞の貴重な証言
尾崎秀実に続いて、10月18日にはゾルゲも逮捕されている。いよいよこの事件の中心に日本の官憲は切り込んだのである。ゾルゲ事件については多くの著作によって全容が明らかになっているように思える。実際に日…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(54)知性が軍事機構の下僕になった社会構図
近衛文麿の私的ブレーンを集めた朝飯会は、「知性のネットワーク」と評してもよかった。私はこの朝飯会が軍に巧みに利用されただけではなく、コミンテルンの情報源にも利用されたという意味では、日本の知性はファ…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(53)近衛の気力をそいだゾルゲ事件での仲間への追及
第3次近衛文麿内閣時代、表では東條英機らの抗戦派との政策調整上の対立抗争という図式があった。しかし裏では別の抗争があって、特高組織、憲兵の潜行捜査による近衛周辺のブレーンたちへの追及という構図があっ…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(52)近衛の闘う意欲をそいだ昭和史の意外な断片
近衛が、根拠のない強硬論(「石油がないから戦争だ」との軍事の側の声)に次第に屈服していくのは、前回語ったように持病の悪化もあった。そのほかにいまだ語られざる事実もあった。そのことについてもただしてお…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(51)秘書の細川護貞が私に語った近衛文麿の持病
近衛文麿首相が首脳会談を最終的に諦めたのはいつだったのか。そして近衛自身の当時(昭和16年8月、9月、そして10月)の心情はいかなるものだったのか。その点を吟味しておく必要があるやに思える。この心情…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(50)近衛はテロに備えて井上日召を用心棒とした
もし近衛文麿とルーズベルトの首脳会談が行われていたなら、昭和の歴史も大きく変わったはずであった。しかしこの会談は、これまで説明したように日本とアメリカ側の双方に反対する勢力が強く、会談は幻に終わるこ…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(49)児玉誉士夫が証言した近衛首相爆殺計画
近衛首相とルーズベルト大統領の首脳会談は、昭和16(1941)年8月、9月のある時期までは、近衛も実現可能と期待を膨らませていた。東條陸相は消極的賛成という立場であった。ある時期までは陸海軍の責任者…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(48)わずか2カ月余だが戦争回避、平和解決の可能性があった
陸軍首脳が強硬に戦争政策を主張し、第3次近衛文麿内閣での近衛の立場を次第に追い込んでいくときに、一時的に外交交渉に力点を置く時期があった。わかりやすくいうならば、日米首脳が膝突き合わせて会談を行う可…
