保阪正康 日本史縦横無尽
-

シリーズ「憲法と日本人」(2)今の「非軍事憲法」は大日本帝国憲法が作り出した軍事侵略のアンチテーゼである
「憲法を百年生かそう」というスローガンについて、私と半藤一利の認識、あるいは理解をもう少し説明していきたい。百年持たせるという意味は、昭和22(1947)年5月に施行された憲法を全てそのままに全く手を…
-

シリーズ「憲法と日本人」(1)施行から79年。私が「この憲法を100年持たせよう」と提唱する真意
今回からは「憲法」について考えていきたい。 現在の憲法が成立した経緯やそのプロセスを単に追いかけるのではない。そうした史実はすでに多くの書物に記されており、ここであえてなぞる必要はないだろう…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(134)日本軍の「宿痾」についてつづった特攻隊員の手記は、どこにあるのか
特攻隊員として、昭和19年後半期からフィリピンなどで自らの命を差し出した学徒兵たち。彼らの残した証言や手記などに触れるとき、私たちは国家に命を捧げた彼らの遺志に対し、相応に畏敬の念を抱く。しかし、戦…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(133)神津直次が明かした「死への勧誘」…人間魚雷「回天」へと誘導された学徒たち
海軍においても、特攻作戦が開始される前から、学徒兵は特攻作戦の予備軍として想定されていた。学徒出陣に前後して、回天や震洋などの特攻兵器の生産は、軍事上層部の了解のもとで一部は開始されていたのである。…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(132)学徒出陣の「特操」上原良司の遺言が明かす軍指導部の冷酷な計算
戦時指導者の思惑について、さらに話を進める。学徒出身の特攻隊員が語った言葉、そして戦後に発表された手記を読むと、そこには微妙な表現がいくつも見つかる。 例えば、「きけわだつみのこえ」に収めら…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(131)体当たりの特攻兵器に「頭脳」を求めたのは軍事指導部も同じだった
大本営の作戦参謀も務めていた軍人が、「いずれ書いてもいいが、戦後90年、100年を経てからだね」とした上で私に明かしたことがある。 「君らのような研究者、ジャーナリストにもあまり知られていない…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(130)学徒出陣は、首相と陸軍相を兼務した東條英機が机上で生み出した
学徒出陣に関する2つの証言を聞いた時に、私はこの制度がいかに残酷さを秘めているかを実感した。その1つについては、すでに比較的、細かく記述を進めてきた。簡単に言うと、これは「兵役法」そのものの改正を行…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(129)学徒出陣の本質とは何か、そこにあった軍事指導者の狡猾な思惑
東條英機内閣が慌てて作成した勅令案などは、学徒出陣の本質とは何かを明確に表している。 そのことを説明しよう。この戦争には、軍事指導者たちがその場その場でのつじつま合わせをしたような形跡が随所…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(128)学徒出陣前夜の攻防 東條英機にあらがった教育者、橋田邦彦文相の教示
東條英機首相兼陸相と橋田邦彦文相との間の「学徒出陣」をめぐる対立抗争について、さらに記述を進める。 太平洋戦争の開戦以来、東條首相や軍部指導層は、修学年限を短縮して学生を徴集し、兵員や将校の…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(127)学問の府に迫る軍靴の足音…橋田邦彦文相と東條英機陸相の激突
第2次近衛文麿内閣では、日米交渉の開始とその内容を巡って、松岡洋右外相と近衛の対立が激しくなり、つまるところ一度総辞職という形をとることになった。松岡を更迭するだけの体裁を整えた後、第3次近衛内閣が…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(126)近衛文麿内閣で文相となった橋田邦彦 「戦争か学問か」のせめぎ合い
戦時下での軍事政策は、指導者は自分たちに都合の良いことしか考えず、その政策に反対、あるいは消極的な人々には露骨な制裁を科した。学徒出陣へと至る文部省の動きにも、そうした弱さが如実に表れていた。昭和天…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(125)初めて明らかになる「学徒出陣」の裏面…侍従が語った実兄・文相への批判
学徒出陣に関して、私は「2つの証言」を聞いて、太平洋戦争に駆り出された学徒の姿に、全く別な姿を重ね合わせることになった。 この戦争の後半期、特に昭和19年に入る頃には戦況は一気に悪化していき…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(124)聞き書き調査で見えてきた「学徒出陣」の不透明な実態
「懲罰召集」のカラクリは、結局のところ詳細はわからない。特定の人物を狙い撃ちにして召集するために、全国からその人物と条件が重なり合う者が意図的に召集されたにしても、その多くが戦死しているからだ。正確な…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(123)「反東條」への見せしめ…「懲罰召集」の非道が罪なき文官を巻き添えにした
前回に続き、「懲罰召集」の実態を語っていく。逓信省工務局長の松前重義は、当時もう42歳になっていた。勅任官として兵役などは免除されている立場にありながら、二等兵として召集するという暴挙。そればかりか…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(122)「懲罰召集」という名の死刑宣告 松前重義は二等兵として激戦地へ送られた
太平洋戦争の敗戦と、アメリカを中心とする連合国による占領支配。こうした期間を通じてこの国は「戦後民主主義(アメリカン・デモクラシー)」を新たな規範として受け入れていった。当時、戦前・戦時下の歪んだ戦…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(121)中野正剛自決の深層──要人たちはなぜ東條英機に屈していったのか
その軍官僚の証言を以下に紹介する。彼が「極秘だ」と言って伝えてくれた内容である。私もこれまでこうした事実は書かずにきた。 「その要人はだね、自分の身内や縁戚など3人の人物を軍事機構に召集されな…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(120)戦後になっても元軍人たちが軍事機構を正面から批判しきれなかった不可解さ
太平洋戦争下の戦争指導について、もう少し具体例を語っておこう。こうした話は、占領下の日本社会で密かに語られていたのだが、連合国側に知られるのは恥だとして、旧軍の軍官僚は、ひそひそ話としてとどめたり、…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(119)不都合な真実には耳を塞ぎ、組織を崩壊させていった東條英機の軽薄さ
東條英機やその系列の人脈に嫌われた軍人は、太平洋戦争下では主流にはなれなかった。その多くが、戦地に出されていたのである。 省部にいながら、東條のような戦争観に追随できないという者たちは、時に…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(118)戦時下の東條人事の酷さ、上司に逆らう軍人は意図的に激戦地に送られていった
東條英機の「二枚舌」による戦時指導は、その人事異動に徹底して表れたのだが、このことを以下に詳述していきたい。そうした史実は、当然ながら表向きにはわからない。戦後になって、いわば呪縛が解けた軍官僚が次…
-

シリーズ「占領下の日本社会」(117)「人事異動」を武器にした東條英機は、恐怖政治で異論を封じた
東條英機首相兼陸相が戦時指導を進めるにあたって、意図的に行っていたのは「人事異動」であった。この実態について、直接に私に証言してくれたのは、長年、首相秘書官を務めた赤松貞雄であった。 赤松は…
