シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(38)「二号研究」はB29の爆撃とともに燃え尽きた

竹内柾らの分離班チームが分離筒を試行錯誤の末に作り上げたのは、昭和20年の初めのことであった。それは高さが5メートルにも及び、幅は50センチを超えていた。この分離筒に六フッ化ウランを入れて濃縮ウラン(ウラン235)を取り出すというのが作業順序であった。なにしろウラン235はウラ…
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