天才アラーキー傘寿を語る
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<86>おじさんがいいなと思って、ずっ~と撮ってたんだ 「綺麗だね~」なんつってね(笑)
電通時代に作っていたスケッチブックの手作りの写真集。あの頃、なんであんなに執拗にやってたのかな。すごいよ、毎日撮って、毎日プリントして、毎日スケッチブックを作ってたんだからね。 『八百屋のおじ…
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<85>手作りの写真集「八百屋のおじさん」笑顔がいいよな~、地方から銀座に売りに来るんだ
これまでに出したオレの写真集、どれぐらい出てるのかってよく聞かれるけど、何冊なのかわからないんだよね。何年も前に550冊を超えたって言うんだけどさ、自分じゃわからないんだよ。 オレの一番最初…
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<84>写真集を作るときに編集者やデザイナーに任せたりするんだ
右目が見えなくなった後、「結界」っていう展覧会もやったんだよ。ポラロイド(インスタントフィルム)の写真を切って、別のものどうしをつなぎ合わせてね(荒木は2013年10月に右眼網膜中心動脈閉塞症により…
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<83>ネガはプリントするための過程だが、ネガ自体を作品にしてるんだ
ある朝、パッといきなりきたわけだよ、なんの前触れもなく。パサって幕が落ちたみたいに見えないんだよ、右目がね(2013年10月、右眼網膜中心動脈閉塞症により右目の視力を失った)。これからは左眼か、そう…
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<82>端っこしか見えない…ペンタックスのレンズをぶっ壊してさ、それで撮ったんだ
突然、右目が見えなくなったからね、しばらくの間、歩くのもまっすぐ歩けなかったんだよ。あの朝、ヒゲを剃っているときに、パッと見えなくなってね。痛くもなんともないのに。本当に突然だったんだ(荒木は201…
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<81>前触れなく右目が死んで…開いた個展のタイトルは「左眼ノ恋」
朝、ヒゲを剃っているときに突然、パッと見えなくなったんだよ。痛くもなんともないのに。突如ね。徐々になっていくっていうんじゃなくて、朝、ヒゲを剃ってたら、「あれ?ヘンだな」ってね。パサって幕が落ちたみ…
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<80>子どもの頃の遊び場は遊女の投げ込み寺 春になると八重桜が咲いていた
オレにとって、桜といえば、八重桜だったね。オレの家の墓が三ノ輪(台東区)の浄閑寺にあって、荒木家の墓のところに八重桜がパーッて咲くんだよ。三ノ輪の実家の近くの浄閑寺は、遊女の投げ込み寺で、そこの墓場…
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<79>世界で一番大好きな写真家…R.フランクとの“時”がずーっと続いているんだ
ロバート・フランクのポートレートも撮ったんだよね(ロバート・フランクは1924年スイス生まれ、23歳で渡米。現代写真界の巨人、2019年に94歳で死去)。ジム・ジャームッシュ(映画監督)が、このフラ…
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<78>R.フランクに下駄をプレゼント 息子みたいに可愛がってくれたんだよ
ロバート・フランクはね、オレが前に住んでた“ウィンザースラム豪徳寺”に遊びに来てくれたんだよ(ロバート・フランクは1924年スイス生まれ、写真家を志して23歳で渡米。写真界の巨匠と称され、世代を超え…
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<77>「シャッターを切るときに目を閉じろ」忘れられないフランクの言葉
この写真は、ロバート・フランクと初めて会ったときに撮ったんだよね。ロバート・フランクは、オレが世界で一番好きな写真家なんだよ。最初に会ったのは、30年ぐらい前の夏だったね(1989年8月)。ロバート…
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<76>最愛のチロは22年生きて、桃の節句の日に骨になった
チロちゃんが亡くなったのは3月2日。翌日の3月3日の桃の節句の日に見送ったんだよ。チロの棺を桃の花で飾ってね。チロは22年も生きて、人間の歳で言ったら100歳を超えてたから大往生だったんだけどね。長…
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<75>ロンドンの個展では映画も上映「私は北野武ではありません!」が大爆笑で大ウケ
ロンドンのバービカンでやった展覧会、すごかったんだよね。写真を何千点も出して、これまで出版した写真集も全部並べたんだよ。オープニングも、向こうじゃものすごいミスなんとかというのを揃えてくれるのよ、歓…
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<74>シャーロット・ランプリングも歳を重ねてからのほうが断然いい
彼女は女優のシャーロット・ランプリングだよ。来日したときに、ホテルで撮影したんだ。この視線、いいよな~。素敵なんだよ。オレは彼女の映画「愛の嵐」にオマージュして、『愛の嵐』とゆー写真集をつくったんだ…
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<73>歩けなくなっても写真は撮れる…街はいろいろなことを教えてくれる
オレの写真集、これまでに500冊以上出てるっていうけどね、もっといってるみたいだよ。何年も前に、海外で出版してるのも入れたら、550冊超えてるって言ってたね。写真集がどれぐらい出てるのかって、よく聞…
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<72>レディ・ガガからラブコール「荒木が撮るなら縛られてもいい」
これはレディ・ガガ、彼女が日本に初めて来たときに撮影したんだよ。ずっと前からラブコールがあってね、日本に行ったら荒木に撮って欲しいって。オレ、そのときはレディ・ガガって、よく知らなかったんだけどね(…
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<71>オレを写真家にしてくれたのは陽子 四六時中、彼女を撮り続けた
ロッキングチェアーに座ってビールを飲む陽子。ふたりだけの幸福な時間。こういう写真がいいんだよね。結婚して、まだ(台東区)三ノ輪の実家の近くに住んでた頃、持ち物もない狭い部屋で、日曜日、陽の当たる部屋…
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<70>写真は自分の情とか相手との関係が見えるから面白い
これは渋谷の駅前の交差点だよ。そうかぁ、39年前の渋谷なんだね(1983年撮影)。オレは一人で歩くときもコースを決めないし、地図も持たないで、勘だけを頼りに歩いてたんだ。で、ふらふらと、とんでもない…
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<69>橋とか川とか…こういうのは「時」を過ごしたくなる場所なんだ
作家の小林信彦さんと東京を一緒に歩いて撮影した「私説東京繁昌記」〔共著、1984年刊〕、もう40年ぐらい前になるんだねぇ(1983~84年に撮影)。 これは、銀座の歩行者天国、和光の前。銀座…
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<68>ノスタルジーは写真の原点であり、人間としての感情の原点だね
オレは東京の下町(台東区)三ノ輪に生まれて、東京の町をずっと撮り続けてきた。「東京慕情」(1999年刊写真集)の写真は、作家の小林信彦さんと東京を歩いて撮影したんだよ。小林さんが雑誌(文芸誌「海」)…
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<67>三四郎池で出会った光景 人生ではノスタルジーが一番大事なんだね
これはね、“三四郎池”で撮った写真なんだよ。東京という大都会の真ん中の東大本郷(東京大学本郷キャンパス)にある三四郎池ですよ、ここは。小さな沼みたいなとこだから、決してキレイなところじゃないんだけど…