著者のコラム一覧
荒木経惟写真家

1940年、東京生まれ。千葉大工学部卒。電通を経て、72年にフリーの写真家となる。国内外で多数の個展を開催。2008年、オーストリア政府から最高位の「科学・芸術勲章」を叙勲。写真集・著作は550冊以上。近著に傘寿記念の書籍「荒木経惟、写真に生きる。荒木経惟、写真に生きる。 (撮影・野村佐紀子)

<102>デジタルの時代だけど「気持ちにフィルムがなくちゃ」っていうことですよ

公開日: 更新日:

 この『古希ノ写真』は、オレが古希のときに出した写真集なんだよ。2010年だから12年前だねぇ。『古希ノ写真』っていうんで、昔の「写真に帰れ」っていうんじゃないけど、写真の素材から始めようって気持ちでやったわけ(「写真に帰れ」は、写真評論家・伊奈信男が1932年に出版された雑誌『光画』の創刊号に書いた論文の題名)。

 だって、この頃、現代アート流行りだからね、そうじゃなくって、即写真っていうことなのよ。ちょっとデジタルの気分もあるんだけど、やっぱり違うんだ。気持ちにフィルムがなくちゃ、その感じ方がなくっちゃねぇ、っていうことですよ。

 決してうまい写真じゃないけど、ストーンって撮っていくっていうことかな。古希だから、ここから始まるっていう気持ちもあったのよ。なんでもない写真がいいんだよ。なんか説明するのが難しいんだけど、気持ちにフィルムがなくちゃということなんだね。

6×7のフィルムを使うカメラがおもしろかった

 ちょうどこの頃、意地を張ったFUJIが偉いんだけど、デジタルの時代になるっていうのに一番撮りにくい6×7のフィルムを使うカメラを出したんだよね。そこがおもしろいの。それで、そのカメラ(FUJIFILM GF670)で、わざと素直にぼんぼん撮ろうって思ったわけ。

 この年の3月2日に(愛猫の)チロちゃんが逝ったんだよ。22年生きてね。翌日の雛祭りにチロの棺を桃の花で飾って見送ったんだ(「チロ」連載21~25に掲載)。

 ドアが少しだけ開いてる写真があるでしょ。チロちゃんが生きてた時は、朝8時ぐらいになるとここからオレを起こしてくれてたんだよ。ここから覗いて「ニャー」って。だから、ずっとドアを少しだけ開けてたね。チロちゃんが死んで何ヶ月経っても、閉めて寝られなかったねぇ。

『古希ノ写真』は、古希で「写真」を終えたっていうことと、古希から写真が始まるっていうようなことなんだ。なんでもないように見える写真ばっかりだけど、実は難しいんだよ。写真というコトの原点が全部ここにあるんだね。

(構成=内田真由美) 

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    中学受験で慶応普通部に進んだ石坂浩二も圧倒された「幼稚舎」組の生意気さ 大学時代に石井ふく子の目にとまる

  2. 2

    横浜とのFA交渉で引っ掛かった森祇晶監督の冷淡 落合博満さんは非通知着信で「探り」を入れてきた

  3. 3

    出家否定も 新木優子「幸福の科学」カミングアウトの波紋

  4. 4

    国宝級イケメンの松村北斗は転校した堀越高校から亜細亜大に進学 仕事と学業の両立をしっかり

  5. 5

    放送100年特集ドラマ「火星の女王」(NHK)はNetflixの向こうを貼るとんでもないSFドラマ

  1. 6

    日本人選手で初めてサングラスとリストバンドを着用した、陰のファッションリーダー

  2. 7

    【京都府立鴨沂高校】という沢田研二の出身校の歩き方

  3. 8

    「核兵器保有すべき」放言の高市首相側近は何者なのか? 官房長官は火消しに躍起も辞任は不可避

  4. 9

    複雑なコードとリズムを世に広めた編曲 松任谷正隆の偉業

  5. 10

    中日からFA宣言した交渉の一部始終 2001年オフは「残留」と「移籍」で揺れる毎日を過ごした