今、こんな「昭和の街」が大ブーム
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昭和レトロどころか大正ロマン…静岡で100年続く名店「多加能」で桜エビの天ぷらを
アタシは仕事で地方都市へ行くことが多い。 それだけに観光は無理でも、せめて飲み屋でそこにしかない土地のものを食べたいと思っている。できれば絶滅しそうな店の雰囲気、街の空気もひっくるめて味わい…
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昭和感たっぷり! 築地「レンガ」のひき肉たっぷりのナポリタンに舌鼓
素人が築地に買い物に行くようになったのは大江戸線の築地市場駅ができてから。30年ほど前になるが、そのころはマニアックな料理好きがプロに交じって早朝から買い物に来ていたという印象が強い。 当時…
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武蔵小杉「炭火焼鳥くろちゃん」は高齢のお客さんを人とつなげてくれる店
鉄鋼を中心とした重工業が川崎のイメージだとしたら、武蔵小杉は精密機械。NEC、富士通、キヤノンなどの巨大なビルが武蔵小杉近くの多摩川沿いに並んでいた。 ITバブル期、南武線沿線は日本のシリコ…
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川崎で50年「やきとり泉家」のオーナーがくぐり抜けた“切った張った”の荒っぽい時代
「元祖立ち飲み屋」の原沢店長から紹介され、すぐさま飛び込んだのが「やきとり泉家」。川崎駅東口から国道15号まで続く仲見世通りの中ほどにクラシックなたたずまいをそのまま残す老舗酒場だ。周辺の店はほとんど…
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川崎「元祖立ち飲み屋」店長の矜持、「飲み物は水でいい」という若い客を帰した
アタシたちが繰り出していた頃の川崎は「ミスタウン」と呼ばれ、映画館を中心とした繁華街が賑わっていた。 久々に川崎を歩いたことを88歳になる母親に話したところたいそう懐かしがり、30年前に他界…
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川崎の老舗「丸大ホール本店」で昼飲み! さっくりふわふわの穴子の一本揚げと白菜漬けでグビッ
若い頃、羽田あたりの友人たちと「繰り出そうか!」となると、それは川崎のコリアンタウンでたらふく焼き肉を食って、その勢いで堀之内に繰り出すことを意味していた。 いつも利用していたのは京急川崎駅…
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「自由が丘デパート」で食堂とスナックに…おじさんたちの楽園に入ってみると
今どきこんな言い方をしたら怒られるかもしれないが、自由が丘を女・子供の街と思っているおじさんたちは少なくないだろう。街を歩いていても、女子の数は老若問わず圧倒的に多い。 しかし、ここで声を大…
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自由が丘の焼き鳥「かとりや」で蘇る…赤坂ナンバーワン嬢との苦い記憶
1970年代に書かれた田中小実昌さんの映画エッセーを読むと、あの時代まではちょっとした街ならどこにでも名画座があったということにいつも驚いてしまう。 と同時にあらゆる映画を見ていることに感動…
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自由が丘「ほさかや」で外国人青年と同席…鰻丼を我慢して2件の駅近バーへ
アタシがまだ高校生だったころ、自由が丘は日吉からやってくる慶応の学生たち(高校生も)のシマだった。 アタシら都立高校の男子生徒が自由が丘のアンナミラーズで制服姿のウエートレスをよだれを垂らし…
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品川・港南口で熱々の太ったイワシの丸干しをガブリ! 熱燗をグビリはこたえられない
東海道新幹線の品川駅が開業したのが2003年の10月1日。それまでの品川はなんの特徴もない、のっぺりした街だったような気がする。 40年ほど前の昭和のころ、高輪口方面には巨大ホテルとそこに隣…
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そうだ、行こう! 神保町の老舗喫茶店とビアホールで静かに酒を飲む心地よさ
いちごジュースを飲む女子たちであふれる「さぼうる」を出て、次にアタシが向かったのは「ラドリオ」。 ここも路地裏の名店。夜になると酒を飲ませてくれる大人の店。向かいには系列店のミロンガがあった…
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学生時代、神保町「さぼうる」で渡辺えり風のマダムにかけられたハッパの中身
昔ながらの喫茶店でゆっくり時間を過ごすことは、古本を漁った後の楽しみのひとつである。 そんな理由からか神保町には昔から喫茶店が多い。しかし1980年代あたりからテイクアウトができるうまいコー…
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神保町の名店「兵六」店主に尋ねた 40年以上前の思い出“ビール伝説”の真偽は…
大手町界隈に多くの氏子を持つ神田明神は、新年の仕事始めから商売繁盛祈願の大企業関係者で大賑わいとなる。 アタシもこの連載が長く続くことを祈念して参拝。その後、明神男坂を下って秋葉原から上野方…
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熱燗やりながら店のお姉さんと昔話をしようと思ったら…
謹賀新年。といってもこの原稿は昨年末に書いたものです。池波正太郎の銀座日記を読んでいたら、むくむくと銀座に行きたくなってきた。 ただし、夜の銀座ではありません。そっちはもう卒業です。年末の昼…
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イギリス出身の店主が「有楽町ガード下の名店」の3代目を継いだ経緯と苦労
高校の授業をさぼってキネマ旬報各賞の表彰式を見に行ったのは1977年のこと。 高倉健が男優賞を取り、本物の大スターを目の前で見たアタシは俳優になる夢をそこであきらめたのである(ウソ)。「幸福…
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浅草橋「むつみ屋」→「西口やきとん」とはしご酒 脳裏に蘇った金髪姉ちゃんの豪快な笑い声
柳橋側から江戸通りを渡ると浅草橋。アタシら部外者はこの辺りをひっくるめて浅草橋と思っているが、どうも違うようだ。浅草橋は馬喰町、横山町からの問屋文化圏に属する。だいぶ少なくなったが「革ハギレあります…
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行きつけの店で女性に串焼きのうんちくを語った顛末
幸田文の体験を基にした「流れる」が成瀬巳喜男によって映画化されたのは昭和31年。衰退していく花柳界をあでやかな中にもシニカルに描いた傑作だ。舞台になったのは隅田川沿いの柳橋。人間国宝クラスの女優がズ…
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酔ったオヤジの“ジャズ話”を若い女性2人が聞かされる蒲田の風景
JR蒲田駅西口を出て右に行くと線路沿いに飲食店がずらりと並び、その先の工学院通りまでこの辺りは毎晩大賑わいのエリアだった。 「だった」と過去形なのは、その栄光は西口を出て左側の池上線沿いのバー…
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アラ還は1人前で満腹に 昼間から盛り上がる蒲田の名物「羽付き餃子」の歴史
西島三重子の「池上線」がヒットしたのは昭和51年。 当時の池上線は昭和初期の古いタイプで車両は緑色、車内の床は油の染み込んだような木製だった。今では3両編成以外はすべてが新しくなったが、なぜ…
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五反田の名店をはしご…「日南」ではさつま白波のお湯割り&ハラミの切り落とし、蘇る先代との思い出
待ちに待った11月。何を待っていたかって? 牡蠣ですよ、牡蠣! 旬は10月からなんですが、この夏の猛暑でずれ込んだらしく、ほとんどの洋食屋さんは11月から。「カキフライ始めました」の張り紙と…