お笑い界 偉人・奇人・変人伝
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「自分が頼むなら、僕は選ばないかな…」と言う橋下徹に、出演者が「選ばんのかえ!」と総ツッコミ
大阪府知事・大阪市長を経て、現在は政治評論家、コメンテーターと幅広く活躍されていますが、私の知っている「橋下徹さん」は茶髪にサングラスでテレビ界を席巻しておられた頃です。関西の弁護士会の会長さんとご…
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小錦はダイエット効果を聞かれ「少しだけ…」と…「どれくらい?」「60キロ」で大爆笑!
相撲界は大の里関の8年ぶりの日本人横綱誕生に沸きました。若い世代にとって外国人力士=モンゴル出身となるでしょうが、私のような60代にとって外国人力士といえば、初の外国人大関になったハワイ出身の小錦関…
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「宮崎哲弥さんさえいれば番組が回る」その理由を目の当たりにした一幕
評論家、コメンテーターとして幅広く活躍されている宮崎哲弥さん。初めてご一緒したのは、大竹まことさんに「日本で最強のトーク番組」と言わしめた「痛快!エブリデイ」(関西テレビ)の名物コーナー「男がしゃべ…
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ようやく花開いたツートライブ 「THE SECOND」優勝の瞬間は涙で画面が見えなくなった
第3回「THE SECOND」で優勝を果たしたツートライブ。苦節18年目、ようやく全国ネットで花開いてくれました。 野性味あふれた目力の周平魂(写真(右))と、目パッチリのたかのり(同(左)…
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松尾諭は最高に“印象に残る男”
Netflixで話題になっている「新幹線大爆破」でも個性的な役柄で話題の松尾諭さん。初めてお会いしたのは2017年度後期のNHKの朝ドラ「わろてんか」の漫才指導の時でした。「ミス・リリコ・アンド・シ…
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ジュディ・オングさんデビュー秘話「オーディションなしでその場で合格になっちゃんたんですよ!」
1979年、「魅せられて」が200万以上を売り上げ、一世を風靡されたジュディ・オングさん。 私はそれより前に放映されたナショナル劇場のドラマ「S・Hは恋のイニシャル」(69年、TBS系)です…
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秋野暢子さんは言いたいことはサラッと言う“大阪のおばちゃん” でも空気が読めて、間も計れる
食道がんと敢然と闘われている秋野暢子さん。力強いメッセージに勇気と元気をもらっている方もきっとたくさんいらっしゃることでしょう。初めてお仕事させていただいたのはもう30年以上前のこと。特番のゲストで…
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いとうまい子さんが今も凜として咲いているのは、意思・意見をハッキリと持っているから
この春から「情報経営イノベーション専門職大学」の教授に就任された、いとうまい子さん。最初の講義で「性接待を求められて断ったら次の日の仕事がなくなった」と赤裸々に告白されて話題になっていました。 …
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急逝した山田亮さんの思い出…悩んでいた広島訛りには「気にせんでええよ」とアドバイスしていた
先日、うっ血性心不全のため51歳で急逝した吉本新喜劇の山田亮君。1997年のオーディションで合格して座員になりました。私は1990年から2000年まで2カ月に1本のペースで脚本を書いていた時に、何度…
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朝丘雪路さんが常に口にしていた言葉は「感謝」…人生が凝縮されているようだった
当時、50代の後半になっていらしたかと思いますが、物腰柔らかく、ちょっとはにかむようでいながら目を新人のようにキラキラさせ、丁寧に挨拶をされる姿はこれぞ「お嬢さま」でした。 「わたくし専属の教…
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子供たちのこと、演技のこと…津川雅彦さんが語った“大局観”に感服した
松村邦洋さんのモノマネに「松ちゃんに『俺そんなに首を動かしてしゃべるか?』って聞いたら、『します』って言うから、そうか、って。松ちゃんがマネする津川雅彦でしゃべるようにしてるのよ。なんか楽しいじゃな…
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夏川りみさんが急きょアカペラで「涙そうそう」を披露…歌の持つ力をあらためて実感した
大ヒット曲「涙そうそう」で知られる夏川りみさん。お会いしたのは大ヒットして、間もない2002年ごろのことでしょうか。 彗星のごとく現れた歌姫のように思っていましたが、実は一度デビューしたもの…
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堀ちえみさんの映像は壮絶な病気体験だけれど、どこかほっこりしていて人柄がにじみ出ている
数々のがんや難病を克服してステージに立ち続ける姿。あの穏やかな笑顔の裏に、どれほどの闘志が隠されていることか、いつも驚かされてしまいます。 ちえみさんとは難病になられる以前、1990年代から…
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コロッケのプロ意識には鳥肌が立つほど 語っていた3つの「エンタメ哲学」
今年、芸能生活45周年を迎えられた、ものまね界のレジェンド・コロッケさん。初めてお会いしたのは20年以上も前のこと。高校時代から郷里・熊本のショーパブに出演して人気を博し、本格的にプロを目指していた…
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ミヤコ蝶々さんは存在そのものが「芸」 客席を自在に泣かせて、笑わせた
東京生まれの大阪育ちで、キレのいい東京弁と人なつっこい関西弁を自在に操り、関西にとどまらず喜劇界では「神様」のように崇められているミヤコ蝶々さん。 1991年に「上方お笑い大賞」(読売テレビ…
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坂上二郎さんがキッパリ言い切った 盟友・萩本欽一さんへのリスペクト
初めてお会いしたのは1980年代、伝説のコメディアンから俳優としての認知が高まっていた頃でした。 萩本欽一さんとの伝説のコンビ「コント55号」。70年代は大みそかに「紅白をぶっ飛ばせ!」で絶…
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亡くなった下條アトムさん「『鉄腕アトム』より僕の方が“先輩”なんですよ。そのおかげで…」
先日、お亡くなりになられた下條さん、最初の話は、やはり「アトム」という“キラキラネーム”でした。 「みなさん芸名だと思われるんですけど、本名なんですよ」「からかわれたり、いじめられたりされませ…
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声優・神谷明さんは語った「そのキャラクターになりきって演じきって命を与えないと」
初めてお会いしたのは1998年の元旦。お笑い特番のクイズコーナーで出題者として大阪に来ていただいた時でした。「声優さん」ということしか知らず、調べてみると、高校時代に夢中になって見ていた「ドカベン」…
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氷川きよしさんの好青年ぶりにトミーズ雅くんもスタジオの観覧席からも大喝采が
氷川さんと初めてお会いしたのは「箱根八里の半次郎」が大ヒットし、「演歌界のプリンス」「おばさまたちのアイドル」と呼ばれ始めた頃でした。会ってみるとテレビで見る以上の好青年でした! 楽屋に入っ…
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水野晴郎さんは打ち合わせの段階から、映画を語ることの“喜び”や“うれしさ”に満ちあふれていた
「いやぁ~映画って本当にいいもんですね~」の決めゼリフでおなじみだった、映画評論家の水野晴郎さんに初めてお会いしたのは30年近くも前のことでしょうか。「水曜ロードショー(後に金曜ロードショーに移動)」…