時代考証・黒田基樹さんに聞いた「豊臣兄弟!」裏歴史名所【秀吉編】

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 戦国時代はやはり引きが強い。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」が好調だ。物語で取り上げられた聖地を訪れる人も多いというが、2人の生誕の地である愛知県名古屋市中村区や大阪城の周辺ではありきたりだろう。

 番組の時代考証を担当する駿河台大教授の黒田基樹さんに、オススメのゆかりの地を挙げてもらった。

■【山崎城】天王山に構えた天下取りの拠点

 まず、秀吉が本格的に天下人を目指すスタート地点である居城の跡だ。

 1582年、織田信長が明智光秀に本能寺で討たれると、中国攻めの渦中にあった秀吉は急ぎ毛利方と和睦、謀反人を追討するため中国大返しを始める。同じ主君に仕えてきた両雄がぶつかったのが、摂津と山城の国境に位置する山崎だ。

 山崎の戦いは、兵力で上回る秀吉軍の一方的な勝利に終わる。わずかな手勢を伴って近江に逃れようとした光秀は、落ち武者狩りの農民に襲撃され、討ち取られたという。

 合戦に勝利した秀吉は、織田家の家督問題などを話し合う清洲会議で主導権を握り、信長の後継者としての地位を確立してゆく。そのベースとしたのが、光秀を打ち破った際に陣を敷いた山崎城である。

「天王山に築かれた山城で、秀吉は清洲会議から1カ月もしないうちに改修に取り掛かります。京都での最初の拠点としたところです」

 その後は大阪城に居を移すため、2年後の1584年には廃城となったが、天守台や土塁などは現在も残されている。織田家中で筆頭家老の柴田勝家を上回る所領を手にすることになった秀吉は、この地から太閤まで一気に上り詰めたのだ。

 山の中腹には、山崎の戦いで秀吉が本陣を置いた宝積寺があり、城の一部として機能していたという。寺の境内には、秀吉が建てた三重塔や秀吉が腰掛けたという出世石がある。

(住)京都府乙訓郡大山崎町字大山崎

■【石垣山一夜城】80日間で完成。北条を屈服させた圧倒的な力量

 天下統一の総仕上げとして関東に兵を進めた秀吉は、城下ごと土塁と空堀で囲む総構えの小田原城を攻めあぐねる。20万以上の軍勢で取り囲みながら城内へは突入できず、籠城を続ける北条を切り崩すことはできなかった。

 そこで秀吉は、小田原城を見下ろす笠懸山(現在の石垣山)に総石垣の城を築き陣を構える。

「それまで石垣の城がなかった関東で、初めての総石垣の城です」

 近代的な城郭を備える城を約80日間で完成させた秀吉に圧倒的な力量の違いを見せつけられた北条氏直は、小田原城を出て降伏を申し出たという。

 今も残る石垣や本丸の跡から小田原城を見下ろすと、今まさに天下を手中に収めようとしている秀吉の気持ちの高ぶりを感じられるだろう。

 現在、城の周囲は一夜城歴史公園として整備されている。園内には、農園を併設したレストラン&パティスリー「一夜城 Yoroizuka Farm」があり、オーナーの鎧塚俊彦氏が行列に並ぶ客を出迎える姿を見られることも。

(住)神奈川県小田原市早川1383-12

■【楽田城】小牧・長久手の戦いの本陣で思いを巡らす

 エポックメーキングな戦いの舞台でありながら、その痕跡はほとんど残されていない--。小牧・長久手の戦いで秀吉が本陣を置いた楽田城も、歴史のあやによって姿を消すことになった兄弟ゆかりの地だ。

 築城の時期も明らかではなく、誰が建てたのかも正確なところは分かっていないという。ただ、1584年、小牧山城に陣取った徳川家康に対し、秀吉は5キロほど距離を置いた楽田城に入り、指示を下したとされる。両陣営の交戦は関東や北陸にも波及し、期間は半年以上に及んだ。

 合戦は、秀吉が信雄・家康のそれぞれと和議を結び終結する。その際に楽田城は、犬山にある多くの城と一緒に破却されることが決まった。450年近く前のことだ。

 城の中心地は小学校の用地となり、その周辺には住宅が立ち並ぶ。観光地としては整備されていないが、小学校の近くには石碑があり、徳川軍を攻めあぐねて業を煮やした秀吉の心情に思いを巡らせることはできる。

 秀吉は力で家康をねじ伏せることができなかった。それでも四国平定などを経て強大な力を持ってゆく。停戦の2年後、家康は大坂城を訪れ、秀吉に頭を下げ、臣下となることを約束した。

(住)愛知県犬山市城山48
※駐車場がないため、公共交通機関を利用してください。

■【吉水神社】権勢を世に示した5日間にわたる花見の宴

 1594年、秀吉は公家や武将、茶人など5000人を連れて、奈良の吉野へ花見に出かけた。文禄の役で思うような成果をあげられず、再び大軍を朝鮮半島に送る慶長の役の3年前だ。豊臣の権勢を世に知らしめた一大イベントとなった。

「自分では戦いに参加しないようになり、秀吉は遊びに力を入れるようになったのです」

 花見の本陣が置かれたのは、吉水院(現在の吉水神社)。当地で5日間にわたり、歌会、茶会、能の会などを開いたとされる。最初の3日間は雨が降り続いたため、秀吉は「雨がやまねば寺社を焼いて山を下りる」と言い放つ。慌てた僧侶が晴天を祈願したところ雨がやみ、無事に花見ができたと伝わる。

 花見で使われた道具などは吉水院に寄贈されたという。書院には、太閤秀吉花見の間があり、最盛期の秀吉の威光を知ることができる場所だ。

 吉野は現在も桜の名所として知られ、見頃の時期になると麓から山頂に向かって順番に、合計3万本の木が淡いピンク色の花に彩られてゆく。

(住)奈良県吉野郡吉野町吉野山579

■【宇津ノ谷峠】小田原征伐で整備された旧東海道

 静岡市と藤枝市の境にある宇津ノ谷峠には、秀吉が小田原征伐の際に造らせた新しい峠道が続いている。

 平安時代にできた「蔦の細道」は古く脆弱で、多くの兵を進めるのが困難だったため、その西側に新しい峠道を整備。駆り出した大軍をスムーズに通せるようにした。この道が旧東海道の一部として現在も残っているのだ。藤枝側から静岡側に歩けば、天下統一に向かう秀吉軍の一員になった気分を味わえるかもしれない。

 静岡側の旧東海道沿いには「間の宿」としてにぎわった集落があり、旅人が休憩する茶屋が立ち並んでいた。その町並みは今もあまり変わっていない。

 秀吉が小田原に向かう途中で休憩した家は「御羽織屋」の屋号で呼ばれており、帰りに立ち寄った際に戦勝の褒美として贈られた陣羽織を見学できる。

 その後も峠を通過するルートは少しずつ改善されていき、明治、大正、昭和、平成とそれぞれの時代にトンネルも掘られたことで、往来が容易になっていった。

(住)静岡市駿河区宇津ノ谷

▽黒田基樹(くろだ・もとき) 1965年、東京都生まれ。早大教育学部社会科(地理歴史専修)卒、駒大人文科学研究科博士課程(日本史学)満期退学。2008年、駿河台大法学部准教授、12年、同教授。戦国大名に関する著書や論文を多数発表している。「秀吉を天下人にした男 羽柴秀長」(講談社現代新書)や「羽柴秀長の生涯」(平凡社新書)など、秀長に関する著書も多い。「ドラマは、あくまでも創作です。それをもとに良質な本を読んでほしいですね」(黒田さん)

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