星野監督に「オッサン、ボケー!」と叫んだ逆転3ラン…島野育夫さんの「星野ヤワやなあ」で溜飲が下がった
前回のコラムで、監督にゴマばかりするコーチについて書いた。
対照的だったのが島野育夫さんだ。星野仙一監督時代にヘッドコーチなどを歴任。正直、星野さんより何倍も怖かった。何度も首根っこをつかまれ、どやされもしたが、いつも選手の立場に立って接してくれた。監督にも選手にもいい顔をする、それを都合のいい人間と見る人もいたけど、俺にとっては大きな「救い」になった。
1999年、チームは開幕11連勝でスタートダッシュに成功。夏場に失速しつつ、なんとか優勝争いを続けていた。
一方、俺はスタメンを外されたり、途中交代させられたりして、モヤモヤが募ったシーズンだった。この年は113試合の出場にとどまり、規定打席に達しなかった。本塁打数も伸び悩み、7月ごろから星野監督から事あるごとに「おまえ、このままやったら日本シリーズに出さへんからな」と言われ、ハッパをかけられていた。そのたび「タケ、大丈夫や。俺が取り持ってやるから」とフォローしてくれたのが島野さんだった。
プレッシャーと闘いながら、シーズン最後のホームゲームとなる9月26日の阪神戦だった。2対1で迎えた九回表に逆転され、その裏、1死一、二塁の場面で俺に打席が回ってきた。


















