仰天野球㊙史
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世紀のトレード仕掛けた伝説のスカウト“マムシの一三”…阪神・小山正明↔大毎オリオンズ山内一弘
この4月18日に亡くなった通算320勝の小山正明は、球史に残る“世紀のトレード”の主役だった。「針の穴を通すコントロール」との異名を取った阪神タイガースの大エース。交換相手は「シュート打ちの名人」こ…
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魚雷バットの理屈と重なる「流線形打線」…“魔術師”と呼ばれた名将が70年前に証明していた
開幕3連戦でヤンキースが1試合9本を含む15本塁打を放ったことで表舞台に登場した“トルピードバット”。日本でも注目の“魚雷バット”である。先端が細く芯が太い形状で、2023年に米国の物理学者だった人…
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なぜ東大は東京六大学リーグに加盟できたのか…そのまま6校だけで今年が創設100周年
「なに、帝大が加盟したい?」 どうする、と5大学が集まった。 「いいじゃないか」 積極的に歓迎の意を示したのは早大と明大だった。1925(大正14)年4月、東京帝国大学(以下、東…
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万引で逮捕された通算350勝・米田哲也から直接聞いた幻の巨人移籍
晩節を汚した、とはこのことだろう。史上2位の通算350勝を挙げた米田哲也の万引逮捕の愚行である。その理由が“生活苦”とは……。 その米田から直接、こんな話を聞いたことがある。 「オレな…
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公式戦出場ゼロながらあの背番号「1」「3」の両方を付けた幻の巨人選手
背番号にはドラマがある。巨人の「1」といえば王貞治、「3」といえば長嶋茂雄。巨人でその栄光の番号を両方とも背負った選手がいた。けれども、公式戦に1試合も出場していない“幻の選手”。実は天才プレーヤー…
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貧打解消を狙い文字遊びで球団名を変更…故・田村駒治郎オーナーの「とんでもエピソード」
プロ野球90年の歴史で「エピソード満載のオーナー」といえば田村駒治郎。“ラッパ”こと、あの永田雅一(大映映画社長)もかなわない。 大阪・船場の大店、繊維を扱った「田村駒」(たむらこま)の大旦…
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戦争犯罪者を収容「巣鴨プリズン」で行われた戦犯慰問試合…跡地はいまサンシャインシティに
今年は戦後80年。1945(昭和20)年3月の東京大空襲などを特集するメディアが見受けられるが、東京裁判(極東国際軍事裁判)で裁かれた戦争犯罪者(戦犯)を収容した巣鴨プリズンでプロ野球の試合が行われ…
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わずか4年で姿を消した「野球くじ」の歴史…八百長の危険性がどうしてもネックに
終戦の日本は復員兵の生き方が大きな問題だった。プロ野球界も同じで、復員選手の意思を尊重し、復帰希望者は速やかに選手登録をした。兵役に就いたときに所属していたチームがなくなっていた選手には新興球団に入…
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今度はオンカジ問題に揺れる“緩んだ”プロ野球界 新人研修制度がわずか2年で撤廃された理由
またか。今度はオンラインカジノ、ときた。大谷翔平の元通訳の事件が日本球界に飛び火してきた格好である。八百長試合、野球賭博、わいせつ行為……。振り返れば、プロ野球の不祥事がとどまるところを知らない。 …
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1936年は「二・二六事件」が起こり、7球団が出揃い、長嶋茂雄が産声を上げた
プロ野球は今年、公式戦がスタートしてから90年目になる。 その1936(昭和11)年は、あの内閣要人暗殺の「二・二六事件」が起きている。歴史の転換期ともなる不穏な世相の中、プロ野球界はどう行…
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試合途中にトレード、1日に異なる2球団で安打を放った 大リーグ唯一の「珍・怪」記録
大谷翔平はこの珍事を知っているだろうか。 1982年8月4日。メッツのジョエル・ヤングブラッドは、敵地・シカゴで行われたデーゲームのカブス戦に「3番・中堅」で先発出場した。三回表に2点タイム…
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金田ロッテはキャンプ中に「生理(性処理)休暇」を堂々と導入!監督就任翌年に日本一を達成した
令和は“不倫の時代”か。プロ野球の世界も他人事ではない。西武の名遊撃手でマジメ人間のイメージだった源田壮亮も、だ。 そんな性問題の防御策を半世紀ほど前に考えついたのが、400勝投手でロッテ監…
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日本球界からの「クーパーズタウン第1号」は400勝ボール…"黄金の左腕”はまさかの招待に頬をつねった
イチローの大リーグ殿堂入りはビッグニュースとして大々的に扱われた。日本の殿堂入りも果たしているからダブル当選。ご同慶の至りである。 けれども、だ。ニューヨーク州郊外のクーパーズタウンに立つ大…
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平然と球場を出入りする「反社」が選手をボコボコに…プロ野球選手会は八百長防止をきっかけに発足した
歌舞伎に「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」の名セリフがある。大悪党で釜ゆでの刑に処された石川五右衛門の辞世の句だが、プロ野球の世界でも悪さはいまだに生きている。 選手会は「八百長…
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巨人がドジャースなら阪神はジャイアンツ…虎の指揮官となった村山実氏が私に見せた猛烈対抗心
日本のプロ野球は1960年代に黄金時代を迎えた。職業野球から近代野球の扉を開けた長嶋茂雄が引っ張る巨人のV9が象徴だった。その巨人の連覇を支えたのが「ドジャース戦法」であることは広く知られている。 …
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敗色濃厚の太平洋戦争末期の1944年正月 軍部の命令に背いてプレーボール、空襲に遭いながら8試合
大谷翔平の大リーグでの活躍を、あの選手たちはどう見ているだろうか。米国との太平洋戦争の末期、1944(昭和19)年に軍部はプロ野球に対し、「(公式戦を)中止せよ」。国内に残った選手たちは、それに背く…
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消えゆくベーブ・ルース「日本初本塁打」のナゾ…地方の山奥球場で描いた120m級の特大アーチ
1934(昭和9)年11月2日、横浜埠頭に着いたエンプレス・オブ・ジャパン号から大柄な男が降り立った。 日米野球で来日したベーブ・ルースである。世紀のスラッガーにファンは興奮し、拍手と歓声で…
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前代未聞の3重契約となった「黒バットの南村」…趣味は論語にクラシック、90歳の誕生日に亡くなった
戦後間もないプロ野球界の人気選手の中で、青バットの天才児こと大下弘と赤バットの打撃の神様こと川上哲治はまさにアイドルだった。これに対して「何? 青だの赤だの言っておるが、色バットはオレが先輩だ」と口…
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異端の永田ラッパ 選手の契約更改は書類を郵送し「捺印して送り返せ」の一方通行、俳優のギャラと同じと扱った
プロ野球選手の契約更改は選手が印鑑を持って球団事務所に行き、そこで笑顔、渋面などさまざまな顔を見せる。それが現在の基本スタイル。かつては球団代表がデスクに両足を乗せて紙飛行機を飛ばしながら「サインす…
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第1号・村上雅則の11年前…“幻の大リーガー”は完全試合男 MLB選抜チーム監督が《米国に連れて帰りたい》と
佐々木朗、菅野、小笠原……太平洋航海を望む選手の動きは今や年末から新年にかけての“球界歳時記”になっている。 日本人大リーガー第1号は1964年に海を渡ったサンフランシスコ・ジャイアンツの村…