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菅谷齊東京プロ野球記者OBクラブ会長

1943年、東京都生まれ。共同通信社でV9時代の巨人をはじめ、阪神などを担当。1970年代からメジャーリーグも取材した。野球殿堂選考代表幹事を務めたほか、三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。現在は東京プロ野球記者OBクラブ会長。

“国鉄”スワローズはなぜ、プロ野球経営に乗り出すことが可能だったのか

公開日: 更新日:

「総裁、プロ野球をやってみませんか」

「おお、西垣クンか。やるか」

 この会話はJRの前身、国鉄がプロ野球セ・リーグ加入を決める際のやりとりだ。1949(昭和24)年11月7日、大阪から東京へ向かう車中でのことで、総裁は加賀山之雄、西垣とは国鉄初代監督に就く西垣徳雄。スワローズは急行列車の中で産み落とされた。

 国鉄がプロ野球の経営に乗り出すことがなぜ可能だったのか。ほとんどのファンは知る由もない。その年の6月、国鉄は日本政府が経営する官業から公共企業体に生まれ変わり、日本国有鉄道(国鉄)に。GHQの最高司令官マッカーサーの指令である。

 これを背景に西垣がたまたま出くわした加賀山に提案した。西垣は第一神港商のエースとして甲子園のセンバツで優勝、法大を経て東京鉄道管理局(東鉄)の野球部に所属。野球愛好家でもあった加賀山と面識があった。急行列車で遭遇時の西垣はプロ野球の審判を務めており、甲子園での東西対抗戦のジャッジを終えての帰路だった。

 西垣は加賀山に、プロ野球は翌年から1リーグからセ・パ2リーグになり、球団数が増えることを伝え、時間が迫っている時期だったこともあってアッという間に参加が決まった。加盟発表は50年1月半ばだから、西垣提案から2カ月ほどだったことになる。

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