著者のコラム一覧
菅谷齊東京プロ野球記者OBクラブ会長

1943年、東京都生まれ。共同通信社でV9時代の巨人をはじめ、阪神などを担当。1970年代からメジャーリーグも取材した。野球殿堂選考代表幹事を務めたほか、三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。現在は東京プロ野球記者OBクラブ会長。

貧打解消を狙い文字遊びで球団名を変更…故・田村駒治郎オーナーの「とんでもエピソード」

公開日: 更新日:

 プロ野球90年の歴史で「エピソード満載のオーナー」といえば田村駒治郎。“ラッパ”こと、あの永田雅一(大映映画社長)もかなわない。

 大阪・船場の大店、繊維を扱った「田村駒」(たむらこま)の大旦那。若い頃、ビジネスの勉強で渡米した際に大リーグの試合を観戦し、熱烈な野球ファンになった。

 待望のプロ野球に参画したのは1937(昭和12)年。大東京を買収してチーム名を「ライオン」(本拠・大阪)に。41年に「朝日」と改名し、その後も「パシフィック」「太陽ロビンス」とひっきりなしに名前を変えた。理由は「勝てるように」。まるで神頼みのようだった。その「太陽」も1年足らずで「大陽ロビンス」と変えた。

 47年の成績が50勝64敗5分けで下から2番目の7位。その前年も42勝60敗3分けだったこともあって「打てない!」と怒り、「太」を「大」と“点を取る”に掛けた文字遊び。神様も戸惑ったことだろう。だが、改名したその48年も61勝74敗5分けの8球団中6位。屁理屈は通用しなかった。

 典型的なタニマチ気質で別荘内に合宿所を作り、食事もたっぷりなど選手をかわいがった。オープン戦で1位になっただけで祝勝パーティーを開いたことも。戦後も野球復活のための幹部による会合を東京・赤坂の別邸で開くなど力の入れようは半端ではなかった。通称「田村駒」、球界を飛び回った。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    永野芽郁は疑惑晴れずも日曜劇場「キャスター」降板回避か…田中圭・妻の出方次第という見方も

  2. 2

    紗栄子にあって工藤静香にないものとは? 道休蓮vsKōki,「親の七光」モデルデビューが明暗分かれたワケ

  3. 3

    「高島屋」の営業利益が過去最高を更新…百貨店衰退期に“独り勝ち”が続く背景

  4. 4

    「たばこ吸ってもいいですか」…新規大会主催者・前澤友作氏に問い合わせて一喝された国内男子ツアーの時代錯誤

  5. 5

    かつて控えだった同級生は、わずか27歳でなぜPL学園監督になれたのか

  1. 6

    永野芽郁×田中圭「不倫疑惑」騒動でダメージが大きいのはどっちだ?

  2. 7

    佐々木朗希「スライダー頼み」に限界迫る…ドジャースが見込んだフォークと速球は使い物にならず

  3. 8

    第3の男?イケメン俳優が永野芽郁の"不倫記事"をリポストして物議…終わらない騒動

  4. 9

    風そよぐ三浦半島 海辺散歩で「釣る」「食べる」「買う」

  5. 10

    永野芽郁がANNで“二股不倫”騒動を謝罪も、清純派イメージ崩壊危機…蒸し返される過去の奔放すぎる行状