野球
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村田兆治が捕まった マサカリ投法を爆発させた「俺を誰だと思ってんだ!」の自意識
村田兆治が捕まった。空港の手荷物検査で金属検査ゲートをスマホを手に持って通ろうとして女性検査員に何度も制止され、ブチ切れた。72歳にもなってナニやってんだ、と世間は呆れた。 プロ野球のOBによく聞く話だ。王貞治をキリキリ舞い...
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ロッテ佐々木朗希「自身初の10勝」に足りないもの…ソフトB戦は5回の走者無警戒で自滅
「本当にもったいない点の取られ方です」 こう話すのは、元ソフトバンク投手コーチの山内孝徳氏だ。 26日、ロッテは今季ここまで9勝4敗の佐々木朗希(20)がソフトバンク戦に先発。制球に難儀しつつも、四回まで2安打無失点に...
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元ロッテ村田兆治容疑者 羽田空港で暴行逮捕…引退後もあちこちで目立った傍若無人ぶり
羽田空港で空港検査員に暴行を働いたとして23日、元ロッテ投手の村田兆治容疑者(72)が警視庁に逮捕された。保安検査場で金属探知機に何度も引っかかったことに腹を立て、右手で女性検査員の肩を強く押したという。 「私を『昭和生まれの...
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ヤクルト村上「55号」へあと2本 来季は「世界の王」“もうひとつの記録”を塗り替えるか
この男は一体どこまで行くのか。 ヤクルトの村上宗隆(22)が9日の広島戦で53号をバックスクリーンに叩き込んだ。落合博満(ロッテ)が1985年に記録した52本を抜き去り、64年に王貞治(巨人、現ソフトバンク球団会長)がマーク...
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享年74 数多の教え子はもちろん、その両親や実家のことまで把握していた高橋昭雄東洋大野球部前監督の矜持
「こらっ! なんだ、その打球の追い方は! こっちに来い!」 埼玉は鶴ヶ島の東洋大野球部グラウンド。ネット裏の一室から傍らのマイクを掴むなり、いきなり怒鳴り声を上げたのは高橋昭雄監督だった。 プロ野球界に進んだOBの大学...
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長嶋茂雄氏が救急車で搬送され緊急入院…自宅でめまい、脳出血か
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(86)が6日、緊急入院した。この日の午前中に都内の自宅でめまいなどを起こし、救急車で都内の病院に搬送された。関係者によると、軽い脳出血があったとみられるが、意識はしっかりしており、命に別条はないという。球...
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横浜での最後の試合で胴上げ直後、「社長が呼んでいます」とマネジャーがすっ飛んできた
編成に来季の構想から外れたと通告されたものの、権藤監督の話でいったん白紙に戻った。が、翌日、同じ人から再び構想外と通告されることに。前日の経緯が経緯だけに、最終決定かと念を押すと、その通りだという。こうなると自分は完全に来季の構想か...
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阪神・西勇輝は「性格に難あり」海外FA権取得で今オフ目玉と思いきや“不人気”の声
「計算できる投手であることは間違いないが……」 阪神OBがこう言うのは、さる8月29日に海外FA権を取得した西勇輝(31)のことだ。 「大きなケガなくこられて、また(FA権を)取れるとは思っていなかった。今はシーズンが終...
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あと1年できると手応えも 36歳で受けた「戦力外通告」が二転三転した裏側
2000年のシーズン後半、秋口に一軍に上がると調子がいい。 9月1日にリリーフで2回と3分の1を無失点に抑えてこの年、初勝利。10日の広島戦もリリーフで2勝目を挙げた。若手を教えることによって、自分の投球フォームをもう一度、...
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球宴の最中も激しいトレーニングを積むロッテ村田兆治さんに衝撃を受けた
プロ1年目、1987年のオールスターに出たときのことだ。 オールスターは他球団の選手と話をする格好の機会。ベンチが同じパ・リーグのベテラン投手と話をすることで得るものは大きいと思った。 といっても、こちらは1年目のペ...
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斎藤佑樹「第二の人生」は順風満帆 CMで超売れっ子、現役時代より稼ぎガッポリ?
さすが、「腐ってもハンカチ王子」である。 最近、元日本ハム・斎藤佑樹のメディア出演が目立っている。 【写真】この記事の関連写真を見る(22枚) 現役引退直後から両親が立ち上げたマネジメント会社を引き継ぐ形で事務...
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2000年前半は二軍生活…自分の与えたヒントで改善する若手の成長が楽しみだった
プロ初安打は1999年8月10日、横浜スタジアムの広島戦だった。 紀藤真琴から放った中前打は、適時打のオマケ付き。猛暑のさなかに、打って走って青息吐息。バテバテで、先発しながら4回3失点で降板した。 この年は先発とし...
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自分が育った横浜で…ヤンキースのような紙吹雪舞う中の優勝パレードは生涯忘れない
赤、青、黄、緑、白……無数の紙吹雪が、ビル風に舞って頬をかすめていく──。 日本一になった横浜の優勝パレードは1998年11月3日、秋晴れの祝日に行われた。 抜けるような青空のもと、パレード用に造られた車の上に乗った...
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西武との98年日本S第6戦 全球ストレート勝負で初の日本一の感慨
0-0で迎えた八回1死二塁。迎える打者は3番・高木大成と4番・鈴木健。私は1点もやれない場面で、先発の川村丈夫をリリーフした。 1998年、西武との日本シリーズ第6戦。横浜はここまで3勝2敗と日本一に王手をかけていたものの、...
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ビールかけのやり方がわからない? 38年ぶりのリーグ優勝ゆえに起きたトラブルの中身
舞台となった宴会場の床はびしょびしょ、辺りには独特のアルコール臭というか、ビールの臭いが充満していた。 1998年10月8日、横浜は甲子園球場で阪神を下し、リーグ優勝を決めた。 その後、宿舎のホテルに戻って祝勝会。選...
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ペナントレース終盤の戦い方 今はアクセルを踏むのはまだ早い
私が中日の二軍投手コーチとして指導者人生をスタートさせたばかりの頃だから、もう50年近く前のことになる。ウエスタンリーグの試合で遠征したある日の夜、大阪球場を訪ねた。ナイターでの一軍戦に備えて練習中だった南海のドン・ブレイザー・ヘッ...
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38年ぶり横浜リーグ優勝の1週間くらい前から「2次会」会場の下見を始めていた
1998年6月、首位に立った横浜は、その後も球宴を挟んで10連勝するなど好調をキープ。7月以降は一度も首位を明け渡すことなく、10月8日に甲子園球場の阪神戦で38年ぶりにリーグ優勝した。 スコアは4-3。最後の2イニングを佐...
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降板を告げられた直後に「勝負せんか!」と一喝…権藤監督が何度も怒った理由
1998年7月、横浜はマシンガン打線が本格的に機能するようになる。 それまで手も足も出なかった中日の落合英二と宣銅烈を攻略すると、続く巨人戦は壮絶な打撃戦を制した。 2試合目は、8-7で勝った1試合目以上の打ち合いに...
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横浜移籍1年目、権藤監督は独り言のようにつぶやいた「近鉄時代を思い出せ…」
権藤さんは監督でありながら、投手交代のたびに自らマウンドに足を運んだ。 当時はいまのように試合時間の長さにナーバスではなかった。権藤さんは次に投げる投手の投球練習をマウンドの横で見守り、練習の最終球がキャッチャーミットに収ま...
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右脇腹を痛みを耐え抜き…3試合の雨天中止と敗戦処理の立場が奏功した
横浜移籍1年目の開幕直後、右脇腹を痛めたときはつらかった。 最初にブルペンで肩をつくるときは、あまりの痛さで涙が出そうになったくらい。1カ月近くの間、痛みに耐えながら投げていた。 それでも離脱するわけにはいかなかった...
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横浜1年目の開幕直後に古傷の右脇腹を痛めるも…投げ続けるしかないと思った
横浜移籍1年目の1998年、4月14日から広島市民球場で行われた3連戦の最中だった。 ブルペンに「次の回からいくぞ」という電話がかかってきて、準備をしていたときのことだ。投げた瞬間、右脇腹にビシッという感じの痛みが走った。 ...
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大魔神・佐々木主浩の驚愕発言「自分は先発投手の家族も養っている気持ちで投げている」
宜野湾キャンプのブルペンで、大魔神・佐々木主浩の投球練習を真後ろから見たときのことだ。 なにより、コントロールがいい。ストレートを両サイドにきっちりと制球していたが、それ以上に驚いたのがフォークボール。あれだけフォークが鋭く...
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横浜移籍1年目の沖縄キャンプの夜に「ハマの大魔神」が声を掛けてくれた
横浜に移籍して1年目の沖縄・宜野湾キャンプ。 最初の休日前夜、那覇の中心地の松山で投手会が行われた。ほとんどの球団でやることで、ルーキーや移籍選手の歓迎会を兼ねている。 会場は大ぶりの牛タンを串で食べさせる店。私や新...
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横浜移籍後の98年、キャンプ初のブルペンで最初にボールを受けてくれたのは権藤監督だった
「最初は敗戦処理からだからな」 巨人から横浜にトレードで移籍して迎えた1998年の沖縄・宜野湾キャンプ序盤。監督の権藤博さんは私にこう言った。 横浜は前年2位。監督が大矢明彦さんから権藤さんに代わって、今年こそ優勝する...
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あり得ないことが立て続けに起こって横浜へのトレードが決まった
巨人に移籍して3年目の1997年オフ。私は契約更改の席上、山室代表補佐に、とにかく一軍のマウンドに立ちたい、巨人でチャンスがないのならトレードで移籍しても構いませんと訴えた。 しかし、トレードには必ず損得が発生する。特に巨人...
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ファーム暮らし続く巨人3年目を支えてくれた 元近鉄ブルペンコーチの助言
「あのな、阿波野、おまえが投げている姿を見ているのは近鉄の人間だけやない。相手球団も、それ以外の球団の編成の人たちも調査のために見に来てるんや。だれが見ているか分からないんやから、野球に対してはしっかり取り組まんと。自分の置かれている...
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97年は最終戦でヤクルトのホージーを四球で歩かせただけで終わった
1997年のシーズンはヤクルトが2位以下に10ゲーム以上の大差をつけてリーグ優勝。巨人はヤクルトから20ゲーム差の4位に沈んだ。 最終戦は10月8日、神宮球場のヤクルト戦だった。私はその試合の八回裏、打席にホージーを迎えた場...
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巨人2年目は開幕を二軍で迎え、3年目は登板機会がさらに減った
近鉄時代は門限などなかった。いや、正確に言えばあったのかもしれないが、ないに等しかった。 しかし、巨人はキャンプの門限も厳しかった。なので、門限を破る人などいなかったように思う。まあ、いたとすれば、よほど高度なテクニックでバ...
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先発テストの黒潮リーグで打球が胸を直撃! 救急車で病院に運ばれた
すでに巨人の優勝がなくなった1995年10月3日。私は広島市民球場で行われた広島戦に先発、4回を投げて8安打、自責点4で3敗目を喫した。 巨人に移籍して1年目のシーズンは24試合に登板したものの、23試合はリリーフ。唯一の先...
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大学生投手の「ドラフト1位」評価は“上げ底”だ 代表から漏れた中にこそ逸材がいる
「今年は高校生より大学生が人気って言うけど、なんだかなぁ……」 6月18~20日、神奈川の平塚で行われた大学日本代表の選考合宿を一緒に見に行った部長がこうボヤいた。 「二刀流で注目される日体大の矢沢宏太(左投げ左打ち)、...