突然、母が別人になった
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(42)実家に戻って初夏の庭先が目に入った瞬間、言葉を失った
母の施設入所に伴い、1カ月ぶりに実家に戻った。初夏の庭先が目に入った瞬間、言葉を失った。庭木は茂り、雑草はのび放題。誰が見ても、人の出入りがない家だとわかるありさまだった。 真冬に父が急死し…
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(41)「お父さん、死んでしまったよ」入所の日、母にようやく伝えた
熊本に大雨・洪水警報が出されていた日、私は母を病院から迎え出し、入所予定の施設へと送る日を迎えた。 すでに両親の車をどちらも処分していたため、施設長が迎えの車を厚意で出してくれることになった…
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(40)退院の手配、契約手続き、ケアプラン作成…やるべきことは無数にあった
実家近くの高齢者施設に申し込み、施設長が入院先に出向いてくれての母との面談も無事済んでいた。空きが出るまでしばらくかかるとのことだったけれど、ひと月ほど経った5月の連休前に「入居可能になった」との連…
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(39)これからは専門家に頼れる──ほっと肩の力が抜けた
仮申し込みをしていた施設から、1カ月ほど経った頃、そろそろ空きが出そうだという連絡が入った。ついては、事前に病院に母の面接に行きたいという。 コロナ禍で、基本的に入院患者への面会は一切できな…
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(38)「母と娘」という形は、はっきりと失われた
母の入所先となる施設を仮申し込みしたことで、病院側でも退院に向けた準備が少しずつ進み始めた。母が状況をどこまで理解できるかはわからなかったが、たとえ形式的でも本人に一度確認しておきたいと考えていた。…
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(37)仕事と介護を両立させるために必要なこと
母の施設探しをするうち、介護に関する話題を目にする機会が増え、他人事ではないと感じるようになってきた。なかでも介護のために離職する人はいまだに多く、社会的な課題としてたびたび取り上げられている。 …
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(36)「最善の施設を選んだのだ」と自分に言い聞かせた
候補に挙がった有料老人ホームは、すべて月額の基本的な費用が10万円前後で収まる施設だった。それが母が受け取る予定になっている遺族年金の範囲内で支払える金額の条件だった。 そんな折、数百万円か…
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(35)高齢家族がいれば誰でも、今、この瞬間、介護が始まる可能性
高齢者施設探しを始めた時、母は82歳になっていた。認知症専門医院に入院中に誕生日を迎えていたが、同年代で元気に生活している人も多い年齢である。施設を選ぶにあたって、周囲にはまだ介護施設の入所経験があ…
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(34)この施設なら、母は最期まで安心して暮らせるのではないか
高齢者施設の紹介業者がリストアップした6軒の有料老人ホームに、私は1軒ずつ電話をかけ、空き状況や費用、通院の付き添い体制などを確認していった。どの施設も見学ができず、電話での印象だけが判断材料だった…
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(33)母の暮らし先を探すのに「電話の印象」だけが生の手がかり
高齢者施設の紹介業者から、実家の近くで条件に合う有料老人ホームを6軒リストアップしたという連絡があった。電話で施設名、電話番号、そして月々の基本的な費用を伝えられた。すべての施設の利用料金が、月額1…
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(32)代わってくれる人はいない…私がやるしかない
母の入居先となる有料老人ホームの候補を、紹介業者に選んでもらっている間、地域包括支援センターから特別養護老人ホーム(特養=介護老人福祉施設)についての説明を受けた。特養は比較的費用が抑えられ、長期的…
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(31)母の退院後の施設探し…費用は一体いくらかかるのか
認知症の母の退院後の施設を決めるため、私は地域包括支援センターから紹介された民間業者と電話でやりとりを始めた。施設選びには、希望する地域、予算、必要な条件を伝える必要があった。私は、できるだけ実家の…
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(30)どの施設ならいいのか…判断材料はほとんどなかった
父が亡くなり、残された猫たちを東京に引き取った私は、実家の整理と事務的な手続きに追われながら、限界に近い疲労を感じていた。こういう時に限ってなぜか仕事も忙しく、次から次に依頼や打ち合わせが相次いでい…
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(29)時はコロナ禍…東京ー熊本の行き来は絶対に誰にも言えない
父が残した猫4匹を東京に引き取ると決意した私は、叔母に一時的な世話を頼みながら、短期間で何度か東京と熊本を往復していた。父の死に関する事務処理を進めなければならなかったからだ。役所への死亡届、携帯電…
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(28)実家に残された高齢猫4匹は東京へ連れて帰ることに決めた
だんだん私自身が精神的な疲れを感じるようになっていた中、もうひとつ急いで解決しなければならないことがあった。父がいなくなった無人の実家で、4匹の猫たちが生き延びていたのだ。 父の推定死亡日か…
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(27)介護、家の管理、相次ぐ出資…すべてが私一人の肩に
年が明けてすぐ、実家で父がひっそりと亡くなっているのが見つかった。まさかの出来事だった。私は仕事の手を止めて東京から急ぎ実家に向かい、喪主を務めなければならなくなった。自分の生活がすべて止まった。 …
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(26)意地を張らず、父ともっときちんと話をしていれば
要介護度の通知が届いたら年末年始に帰省し、母が実家に戻って今後必要なケアが受けられるよう準備を進めたいと考えていたが、病院の手続きが遅れ、年内に通知は届かなかった。そして新年。何度電話をしても父が出…
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(25)父はひとりで死んでいた…つながらない電話に胸騒ぎ
その年は寒い冬だった。コロナ禍ではあったが、私は母の要介護度の通知が届いたら、年末年始に帰省して母が実家に戻ってくる算段をつけようと考えていた。その準備を始めれば、何カ月経っても母が退院してこないこ…
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(24)言い合いになるのが嫌で父への連絡は必要最小限となっていた
いずれ訪れる母の退院に備えて、地域包括支援センターとのやりとりが続いていた。最良の選択肢として看護小規模多機能型居宅介護(看多機)という制度を教えてもらい、実家の近くにその施設があることも知った。 …
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(23)何もできなくなった母…どうすれば自宅に戻せるのか
母の介護認定をめぐって、私は地域包括支援センターと何度も連絡を取り合っていた。入院中の母は、薬の調整が進んで精神状態が安定しつつあり、病院側からはそろそろ退院を考えてほしいと伝えられていた。しかし、…