突然、母が別人になった
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(34)この施設なら、母は最期まで安心して暮らせるのではないか
高齢者施設の紹介業者がリストアップした6軒の有料老人ホームに、私は1軒ずつ電話をかけ、空き状況や費用、通院の付き添い体制などを確認していった。どの施設も見学ができず、電話での印象だけが判断材料だった…
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(33)母の暮らし先を探すのに「電話の印象」だけが生の手がかり
高齢者施設の紹介業者から、実家の近くで条件に合う有料老人ホームを6軒リストアップしたという連絡があった。電話で施設名、電話番号、そして月々の基本的な費用を伝えられた。すべての施設の利用料金が、月額1…
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(32)代わってくれる人はいない…私がやるしかない
母の入居先となる有料老人ホームの候補を、紹介業者に選んでもらっている間、地域包括支援センターから特別養護老人ホーム(特養=介護老人福祉施設)についての説明を受けた。特養は比較的費用が抑えられ、長期的…
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(31)母の退院後の施設探し…費用は一体いくらかかるのか
認知症の母の退院後の施設を決めるため、私は地域包括支援センターから紹介された民間業者と電話でやりとりを始めた。施設選びには、希望する地域、予算、必要な条件を伝える必要があった。私は、できるだけ実家の…
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(30)どの施設ならいいのか…判断材料はほとんどなかった
父が亡くなり、残された猫たちを東京に引き取った私は、実家の整理と事務的な手続きに追われながら、限界に近い疲労を感じていた。こういう時に限ってなぜか仕事も忙しく、次から次に依頼や打ち合わせが相次いでい…
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(29)時はコロナ禍…東京ー熊本の行き来は絶対に誰にも言えない
父が残した猫4匹を東京に引き取ると決意した私は、叔母に一時的な世話を頼みながら、短期間で何度か東京と熊本を往復していた。父の死に関する事務処理を進めなければならなかったからだ。役所への死亡届、携帯電…
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(28)実家に残された高齢猫4匹は東京へ連れて帰ることに決めた
だんだん私自身が精神的な疲れを感じるようになっていた中、もうひとつ急いで解決しなければならないことがあった。父がいなくなった無人の実家で、4匹の猫たちが生き延びていたのだ。 父の推定死亡日か…
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(27)介護、家の管理、相次ぐ出資…すべてが私一人の肩に
年が明けてすぐ、実家で父がひっそりと亡くなっているのが見つかった。まさかの出来事だった。私は仕事の手を止めて東京から急ぎ実家に向かい、喪主を務めなければならなくなった。自分の生活がすべて止まった。 …
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(26)意地を張らず、父ともっときちんと話をしていれば
要介護度の通知が届いたら年末年始に帰省し、母が実家に戻って今後必要なケアが受けられるよう準備を進めたいと考えていたが、病院の手続きが遅れ、年内に通知は届かなかった。そして新年。何度電話をしても父が出…
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(25)父はひとりで死んでいた…つながらない電話に胸騒ぎ
その年は寒い冬だった。コロナ禍ではあったが、私は母の要介護度の通知が届いたら、年末年始に帰省して母が実家に戻ってくる算段をつけようと考えていた。その準備を始めれば、何カ月経っても母が退院してこないこ…
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(24)言い合いになるのが嫌で父への連絡は必要最小限となっていた
いずれ訪れる母の退院に備えて、地域包括支援センターとのやりとりが続いていた。最良の選択肢として看護小規模多機能型居宅介護(看多機)という制度を教えてもらい、実家の近くにその施設があることも知った。 …
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(23)何もできなくなった母…どうすれば自宅に戻せるのか
母の介護認定をめぐって、私は地域包括支援センターと何度も連絡を取り合っていた。入院中の母は、薬の調整が進んで精神状態が安定しつつあり、病院側からはそろそろ退院を考えてほしいと伝えられていた。しかし、…
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(22)今後どれくらいの費用が必要になるのか、見当もつかなかった
母が認知症専門医院の閉鎖病棟に移ってからしばらく経った。どう過ごしているのかまったく知る術もなかった。私は地域包括支援センターと連絡を取りながら、介護申請の準備を進めた。ケースワーカーからは、薬の調…
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(21)入院から3カ月…ようやく“会えた”母は表情を失っていた
母が認知症専門医院に入院してから、携帯電話はナースステーションで預かる形になっていた。電話をしても、看護師が気がついてくれなければつながらず、母と直接話すことはほとんどできなかった。 母の入…
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(20)そろそろ自分たちで…頼みの叔母から切り出された
母の認知症専門医院への入院後2カ月ほど経つ頃、父が庭で脚立から落下し、頭から血を流すという事件が起こった。軽傷だったというが、それを聞いてほっとできるわけもなかった。叔母たちは「お父さんも少しボケて…
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(19)このままでは共倒れ…解決の糸口がまったく見えない
母が認知症であること、そして入院したことを受け入れられない父と、電話で話すたびに口論になった。やがて、私は父との連絡を避けるようになっていった。 ある、冷たい雨の降る冬の初め。仕事中に叔母か…
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(18)ただ話を聞いてくれる人がいるということが大きな支えになった
母の突然の認知症の診断、コロナ禍で接触できず叔母たちに頼るしかない状況、「なぜ入院させたのだ」と怒り狂う父。父自身もその頃はかなり体調が悪かった。それなのに、病院に行くこともヘルパーを頼ることもかた…
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(17)処方薬の中には症状悪化につながるものが複数含まれていた
認知症専門医院の初診で、母は生活能力を完全になくしていたこともあり、その場で入院となった。コロナ禍で面会は制限され、東京在住の私ばかりか、叔母たちも会うことはできなくなった。父には母の入院を私の電話…
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(16)飲まず食わずしゃべらず…生きる意欲をなくしてしまったように
母の認知症が発覚してから、私は東京にいながらも情報を集め、遠隔でできることを模索し続けていた。叔母たちが朝昼晩と交代で世話をしてくれた10日間、電話越しに伝えられる母の状態は、どんどん悪くなっている…
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(15)情報を求め、認知症関連の書籍を読み漁った
認知症になった母との向き合い方や今後の医療的なケアについて調べていた私は、「親の老いが気になり始めた時から介護が始まる」という一文に出合い、介護が始まったのだということが初めてわかり衝撃を受けた。 …
