山﨑武司 これが俺の生きる道
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「ダメなら…潔く辞めればええやろ」 “ノムラの金言”は俺の考え方を百八十度変えた
「ノムラの金言」 野村克也監督が残した言葉の数々を、周囲はそう呼ぶ。 俺も楽天で指導を受けるようになり、多くの金言をもらった。 「まずは野球を好きになりなさい」 監督と話…
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「考える野球」に混乱と苛立ちが続く中、涙が出そうになった野村監督の声かけ
「最後は『頭』や。年を取れば、体力もパワーも反射神経も全部なくなっていく。最後に使うところは頭しかない」 2006年、野村克也監督に言われ、プロ20年目で初めて「考える野球」に取り組むことにな…
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本能で野球をしていた俺に「最後は“頭”や」 野村監督の助言をめんどくせえなと思った
2006年、楽天の2年目から野村克也監督のもとで野球をやることになった。キャンプ初日から挨拶を無視され、第一印象は最悪。しかし、半月後の“呼び出し”を境にコミュニケーションを取れるようになった。 …
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野村のオヤジが出したクイズ「ノートを取らないバカタレはお前の他にもう一人。当ててみい」
2006年、楽天に野村克也監督が就任すると、ミーティングの様子は一変。キャンプ前半はすべて「人生訓」に時間が割かれた。野村監督は1時間半、ホワイトボードに「ノムラの考え」を書き、選手はそれをひたすら…
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恐るべき「ノムラの観察眼」 サボりを見抜くと監督付広報を派遣、“ノートチェック”を実施した
2006年、野村克也監督が就任。春のキャンプでは初日から半月もの間、無視され続けた。 野村監督といえば、情報やデータを重視する「ID野球」で結果を残してきた理論派の名将。一方で俺が大切にして…
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「おい、おまえ、生意気なんだよ」 野村監督は俺の挨拶を“ガン無視”、暴れたろうかと考えた
2006年、野村克也監督が楽天の指揮官になった。名前を聞いた瞬間、「なんじゃそりゃ、最悪だ」と崩れ落ちた。ここにきて、なぜ野村監督なんだ。ほとんど接点はなかったものの、「ID野球」「野球に厳しく選手…
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田尾監督には感謝しかない 電撃解任の際は一緒に辞めるつもりだったけど…
楽天1年目の2005年。田尾安志監督から打撃の熱血指導を受けた。監督はこれまで続けてきた前さばき打法を「絶対打てないぞ~」と爽やかにバッサリ。後ろ足重心でボールをギリギリまで呼び込む正反対のスタイル…
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人の言うことを素直に聞いてみるもんだ 意地やプライドを捨てて田尾監督に従い実感した
2005年2月、楽天の初代メンバーとして春季キャンプを迎えた。プロ野球再編による分配ドラフトの影響で、当時の楽天は寄せ集め集団。キャンプ初日、選手たちのレベルの低さに驚いたのと同時に、「俺の生きる場…
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レベルの低い“寄せ集め集団”を見渡し、失った自信を取り戻した感覚があった
2005年に新規参入した新球団「楽天ゴールデンイーグルス」で再スタートを切った。春のキャンプは沖縄の久米島。袖を通したクリムゾンレッドの7番は、オリックス時代のチームメートだった竜太郎から半ば強引に…
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「実績見たら当然だよな?」背番号7を“横取り”しても辻竜太郎に悪いとすら思わなかった
2004年オフに新規参入した楽天への入団を決意した。 契約交渉の相手は楽天の初代編成部長だった広野功さん。初めは「年俸3000万円」を提示されたが、「年俸5000万円+出来高払い」にしてもら…
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現役続行へ背中を押した息子の一言 楽天ファンには悪いが「妙に楽な気持ち」で仙台行きを決めた
2004年オフ、オリックスから人生初の戦力外通告。現役引退を決めていたが、いろんな人たちが自分のことを気にかけてくれた。 まずはその年の日本シリーズ(中日×西武)で遭遇した田尾安志さん。03…
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野茂英雄の代理人がなぜ俺に?「あなたのことを『助けてやって』と頼まれた」
オリックスを戦力外となった2004年オフ。現役引退を覚悟していた俺の携帯電話に、知らない電話番号からの着信があった。電話に出ると、案の定、聞き覚えのない声。代理人の団野村さんだった。 199…
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“時の人”だった田尾安志さんに挨拶して後悔 やっぱり「媚びてアピール」していると思われた
2004年9月28日、オリックスから人生初の戦力外通告を受けた。 「もう野球をやめよう」 ユニホームを脱ぐことを決意。伊原春樹監督と波長が合わず、ケンカ別れしたこともあるが、何よりも力…
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クビになってからの逃避行 ミニカーファンの同志30人とエコノミーでドイツへ飛んだ
2004年9月5日、伊原春樹監督から「使えねえ」と吐き捨てられ、二軍落ち。「もう野球をやめよう」と決意した。 ロッカールームにあった荷物をまとめ、自宅のある愛知に戻った。来年から何をしようか…
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ケンカ別れした伊原監督から“まさかの誘い”も「何を今さら」と断った
オリックスでは伊原春樹監督と何度も衝突し、気付けば野球が大嫌いになっていた。 2004年9月5日、チームが最下位を独走する中、二軍行きを命じられ、その理由を聞きに行くと、「使えねえ、いらねえ…
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ボイコットの前には“伏線”が…伊原監督の酷すぎる一言にプッツン「オメエの方が使えねえんだよ!」
2004年4月28日、伊原春樹監督と激しく衝突した。理由は地元であり古巣のナゴヤドームで開催された試合(西武戦)でスタメンを外されたこと。伊原監督には「名古屋の試合だけはスタメンで使ってください。頑…
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伊原監督に怒鳴り込み、中村GMには泣きついて…スポーツ紙に“ボイコット”と書かれた顛末
2004年、オリックスでの2シーズン目を迎えた。この年に就任した伊原春樹監督には、春季キャンプのときから何度もお願いしていたことがあった。 それは「地元であり古巣の本拠地である名古屋で開催さ…
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「ノーバント宣言反故」の直後に大事件…伊原監督にメンツを潰され、抑えきれない怒りが湧いた
オリックスで2年目のシーズンを迎えた2004年。2年連続最下位のチームを立て直すべく、伊原春樹監督が招聘された。 当時、西武の黄金時代を支えていた伊原さんは機動力野球のイメージが強く、長打を…
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伊原春樹監督との“壮絶確執”の前日譚 監督就任を知って絶望、引退が頭を過ぎった
2003年に移籍したオリックスは目まぐるしい監督交代劇が続いた。 4月23日に成績不振(7勝12敗1分け)で石毛宏典監督が電撃解任されると、打撃コーチだったレオン・リーが監督に就任。レオンは…
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「おまえに4番を打ってほしい」石毛宏典監督は最後の試合前にこう告げた
2003年、「オリックス山﨑武司」として初めてのシーズンが幕を開けた。 3月28日、近鉄との開幕戦は「7番・DH」でスタメン出場。4打数1安打だった。しかし、チームは開幕4連敗。前年の最下位…
