山﨑武司 これが俺の生きる道
-

俺がDHでも試合前のシートノックに出続けた思惑…ベンチでふんぞり返るだけはイヤだった
DH。「指名打者」と呼ばれるそのポジションは、守備に就かない。そのせいか、「守備をしないから楽だ」と見られることもある。でも、同時に打撃で結果を出すことが絶対条件。打たなければ評価されない、責任の重…
-

「おい、オマエ、挨拶に来てねえよな!」納会の二次会でラーメンをすする牧田明久にお灸を据えた
楽天時代、田中将大(現・巨人)や嶋基宏(現・中日ヘッドコーチ)に態度を注意したことがあったが、もうひとり俺がカミナリを落とした選手がいた。 ある年のオフ。宮城県の秋保温泉の旅館で開かれた選手…
-

現中日ヘッドコーチ嶋基宏はオファー承諾に躊躇していたから、背中を押した
楽天でチームメートだった嶋基宏が今季から中日のヘッドコーチを務めている。野村克也監督が育てた最後の捕手ともいわれている。 野村監督には「捕手は賢くなければ務まらない」という持論がある。その一…
-

嶋基宏は一時期ノイローゼ状態になっていた...心ここにあらずで、魂が抜けた状態に
2008年に入ると、俺はいつしか楽天で「番長」のような立場になっていた。当時、楽天はキャプテン制度がなく、「C」マークをつけていたわけでもなかった。でもベテランとして、人生の先輩として、いけないこと…
-

アラフォーからの大逆襲に…「筋肉増強剤」「違反バット」のあらぬ疑いをかけられた
2007年、38歳で本塁打王と打点王の2冠を手にした。 プロの世界では下降線となる年齢。というか、現役を続けられる選手すら多くはいない。にもかかわらず、タイトルを2つも取ったものだから、あら…
-

2人の助言で天敵ソフトB和田毅を攻略…すると本人から記者を通じて「探り」を入れられた
長くプロ野球選手をやっていれば、苦手な投手が出てきてしまうもの。それがソフトバンクの杉内俊哉(現・巨人一軍投手チーフコーチ)であり、和田毅だった。 和田には、外角のスライダーでカウントを稼が…
-

「もう出たくないなあ…」という俺の愚痴を聞きつけた野村監督が放ったひと言
「うまくやるより全力でやれ」 野村克也監督にはたくさんの金言をもらってきたが、わざわざ色紙に書いてもらったフレーズがこれだ。 ある年のシーズンオフ、知人に監督のサインを頼まれたことがあ…
-

田中将大が楽天を去った本当の理由…退団から巨人移籍までに俺とした“3度の電話”の中身
2007年に楽天に入団した甲子園のスーパースター、田中将大(現巨人)もはや37歳。今年で巨人移籍2年目を迎えた。21年にメジャーから楽天に復帰。23年10月に右肘をクリーニング手術した影響もあってか…
-

「ダルの真似なんかしてんじゃねえよ」 田中将大にこうハッパをかけた真意
「マー君」こと田中将大(現巨人)の代名詞といえば、三振を取ったときに見せる闘志むき出しのガッツポーズ。駒大苫小牧高時代から感情を前面に出すスタイルが印象的だったが、プロ1年目、入ったばかりの頃はおとな…
-

田中将大はピンチのマウンドで「来るな」オーラを漂わせ…最初は「話聞けよ」と思った
2007年、鳴り物入りで楽天入りし、チームメートになった田中将大(現巨人)に興味津々だった。投手としての実力はどんなもんなんだろう。早く打席でボールを見てみたいと思っていた。 “初対戦”はキャ…
-

入団直後の田中将大を一喝「天狗になってんじゃねえのか?」 「絶対に許さないからな!」
2007年、楽天に甲子園のスターが入ってきた。駒大苫小牧のエースだった田中将大(現巨人)だ。06年夏の甲子園の決勝で早稲田実業と引き分け再試合の末に敗れた。最後は打者として、早実のエース斎藤佑樹と対…
-

野村監督の“二面性” 「俺は差別せん」と言いながら…冷遇された平石は腐りかけた時期がある
「俺は差別はせん」 野村克也監督はよくこう言っていた。でも、チームメートの平石洋介に対しては違った。 「おまえは田尾(安志前監督)の縁故だろ」 こんな嫌みを言うことも。田尾さんも…
-

野村監督が平石の“ルール違反”に大激怒して…コーチ陣の不条理すぎる“見殺し”に俺がキレた
世の中にSNSが浸透した今、プロ野球界も誹謗中傷にさらされることは日常茶飯事。俺の現役時代はスタンドから直接飛んでくるヤジの方が辛辣だったよ。匿名性は皆無というか、面と向かって罵声を浴びせられるんだ…
-

自宅に脅迫電話、愛車も破壊され…そんな俺が思う「ファンの批判」との向き合い方
「野球を愛しなさい」 俺にそう言った野村克也監督自身、野球が大好きだった。特に晩年は「グラウンドで死にたいわ」が口癖。今年3月のWBCを見ていて思った。一度は日本代表の監督をやりたかったに違い…
-

秋頃に自覚、「ノムラの考え」に傾倒していつしか“野球好きの少年”に戻っていた
ある年の夏場、練習日をオフにしてほしいと野村克也監督に直談判すると、あっさり許可してくれた。 俺はこの頃、野村監督のことをまるっきり勘違いしていたと痛感していた。会って話すまでは一方的でワン…
-

野村チルドレン「長男」の自負がある 次第に“直談判”で休日申請するようになった顛末
「おまえ、子供が可愛くねえのか。俺は克則が可愛いんや」 楽天時代、野村克也監督が島田亨球団社長に言った言葉だ。エコヒイキで何が悪い、と開き直る監督の親バカっぷりに思わずズッコケた。 思…
-

クレーム殺到の“親バカ起用” 球団社長を唖然とさせた野村監督の「言い分」に俺までズッコケた
楽天では2005年の球団創設時から、礒部公一が初代選手会長とキャプテンを務めていた。06年に就任した野村克也監督は、開幕から打撃不振に陥ったチームリーダーをとても気遣っていた。 「たった1打席…
-

チームの顔・礒部公一に代打騒動勃発 「お前が決めろ」野村監督の突然のフリに泡を食った
楽天が創設された2005年当初、チームリーダーは礒部公一だった。初代選手会長と主将に就任した礒部は近鉄バファローズ(現オリックス)最後の選手会長でもあり、球界再編のときは先頭に立って現場の意見を訴え…
-

負け癖がついたチームに危機感 “立場”をわきまえていたが、一線を越える決意をした
2006年8月22日。雨中の岩手県営野球場で行われた日本ハム戦。楽天は、九回裏を迎えて3対10の大差で負けていた。 「九回は打席が回ってこんだろうな……」とタカをくくり、ベンチ裏でベトベトにな…
-

野村監督を激怒させたベンチ裏の一幕…翌日なおキレ続ける姿に俺は内心苛立った
「野村再生工場」。弱かったチームを優勝させ、結果が出ずにくすぶる選手の才能を開花させる。野村克也監督の手腕はそう呼ばれた。俺もそこで「再生」できた一人だ。 監督が口癖のように言っていた言葉があ…
