「おまえもついて来い」星野監督は左手首骨折の俺を日本シリーズに同行させてくれた
1999年、中日は11年ぶりのリーグ優勝を果たした。しかし、俺は優勝を決めた試合で左手首を骨折。ビールかけは遠巻きに見ることしかできず、王貞治監督率いるダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズにも出られなかった。
念願だった日本シリーズへの切符を手にしながら、戦力になれない。そんな自分に腹が立っていた。そんなとき、星野仙一監督から声をかけられた。
「おまえもついて来い」
戦力にならないのを分かっていて、同行しろと言ってくれたのだ。
日本シリーズは10月23日に開幕。全試合、ベンチ裏で見守ることになった。
ダイエーには1勝4敗で負け、日本一にはなれなかった。
当時ダイエーのエースで、愛工大名電の先輩でもある工藤公康さんが試合後、「山﨑くんがいなかったから楽だった」と言ってくれたのが、せめてもの救いだった。
この年、俺は選手会の副会長をやっていて、選手やスタッフたちと優勝旅行の行き先を話し合っていた。行き先は米国・ラスベガスに決定。段取りはつけたものの、自分自身はV旅行に行くか決めかねていた。


















