懇意の先輩・山本昌さんは努力の天才 他人の評価に我関せず「自分は自分のことをやればいい」
2002年オフ、山田久志監督への不信感から中日にトレードを直訴した。3年契約のうちまだ2年を残していたが、編成担当だった井手峻さんにわがままを言ってオリックスへの移籍が決定。03年1月7日、平井正史とのトレードが発表された。
1986年のドラフト2位入団からプロ16年目を終えた年だった。中日ではたくさんのチームメートやスタッフと関わってきたが、中でも3つ上の先輩、山本昌さんとの出会いは大きかった。
入団当時、捕手だった俺は投手として昌さんを見たとき、正直こう思った。
「体はデカいけど、並の投手」
身長こそ186センチと俺より大きいが、ボールがめちゃくちゃ速いわけでもないし、とんでもない球威があるわけでもない。ポテンシャルだけでいえば、俺の半分くらいしかないだろう。実際、昌さん本人も「僕はポテンシャルなんか全然ないから」と言っていた。俺はポテンシャルがあっても名球会に入れなかった。
そんな昌さんがなぜ200勝を達成して名球会に入れたのか。現役を32年間も続けられたのか。それは「努力の天才」だからだ。コツコツと地道に四隅を突くコントロールを磨いたたまものだろう。


















