99年シーズン途中で極度の不振…典型的ゴマすりコーチとの闘争
「星野仙一監督はユニホームを脱ぐと優しい」
以前、この連載でそう書いたが、ユニホームという「戦闘服」を着ればやはり闘将に戻る。
リーグ優勝を果たした1999年は開幕から破竹の11連勝。このまま突っ走ると思ったが、夏場に大失速。星野監督は当然のお怒りモードだった。
「おまえら体力がないんじゃ! 走れ!」
そう言って、ナゴヤドーム横の空き地(現在はイオンモールがある場所)でひたすら走らされた。主力である俺ですら1時間以上のダッシュを命じられた。
チームの調子と俺の調子は連動していた。シーズン序盤は絶好調。5月9日の広島戦では3打席連続で本塁打(球団史上8人目=当時)を打った。
が、6月は本塁打ゼロと極度の不振に陥り、スタメン落ちも経験。7月はなんとか復調したものの、8月と9月は試合に出られないことが何度もあった。
出場機会が減った背景には、あるコーチの存在が大きく関係していた。この年から一軍内野守備走塁コーチに就任した高代延博さんだ。


















