後輩の福留孝介から教わったプラス思考 弱音を吐かず、絶対に「できない」とも言わない
1997、98年の2年間は思うような成績を挙げられずにいた。97年はたった19本塁打。98年も「合格ライン」にしていた30本には及ばず、27本止まり。チームも優勝を逃した。
「この合格ライン自体、自分が超一流でない」
そう気付かせてくれたのが、98年ドラフト1位で入団した福留孝介だった。
PL学園時代は7球団から1位指名を受けた超高校級。近鉄が当たりクジを引き、希望球団(巨人と中日)でなかったため「浪人」して日本生命に入り、中日を逆指名した。
孝介は1年目から開幕戦のスタメンに抜擢された。ルーキーの開幕スタメンは中日では10年ぶりのことだった。
孝介は打撃で存在感を見せる一方で、守備ではエラーを連発(99年、両リーグワーストの19失策)。当初守っていた遊撃手だけでなく、左翼手でもサヨナラエラー。
日本シリーズでは内野ゴロの併殺処理でボールを後逸し、この失策が敗戦につながったことも。全体的に守備では苦労していた記憶がある。


















