中日からFA宣言した交渉の一部始終 2001年オフは「残留」と「移籍」で揺れる毎日を過ごした
国内FA権を取得した2001年オフは、「残留」と「移籍」で揺れる毎日を過ごした。
10月18日にはナゴヤ球場で秋季練習がスタート。32歳のレギュラー選手である俺も、なぜか当たり前のようにメンバーに入り、当たり前のように若手に交じって汗を流していた。
秋季練習初日、星野仙一監督の後任として来季から指揮を執ることが決まっていた山田久志監督にこう言われた。
「おまえが必要なんだ。絶対に残ってくれないと困る。来季からはレギュラーとして頑張ってくれ。俺たちと一緒に戦おう」
山田さんといえば現役時代、通算284勝という輝かしい成績を残した大投手。そんなスターが自分を全力で引き留めてくれることに感激した。中日では1999年から投手コーチ、01年にはヘッドコーチも兼任。星野監督から「継承者」としてチームを託されていた。
中日はこのオフ、自分とポジションのかぶるタイロン・ウッズ(当時、韓国プロ野球「斗山ベアーズ」)の獲得に動いていた。もしウッズが来れば、ゴメスや大豊泰昭さんを含めて一塁は“大渋滞”が起こる可能性も。起用法をめぐる球団への疑念は強くなり、25日には一度「FA宣言しよう」と決意した。


















