阪神伝説の打点王・今岡真訪 感性のチカラ
-
よく聞かれる「中学野球は硬式と軟式のどちらがいい?」に僕の見解は…
「僕、宝塚シニアで今岡さんの後輩なんです」 阪神での現役時代、交流戦の際に西武の中島宏之に突然、挨拶をされて驚いた。 「宝塚シニアに後輩なんておったんや。高卒? どこの高校や?」 …
-
僕は宝塚シニアの3年時、全国大会初出場でPL学園からスカウトされた。後に阪神同期入団する二塁手は…
中学は硬式のクラブチーム、宝塚シニアに入った。自宅から一番近いのがまず第一。比較的新しいチームなので、古い伝統みたいなものがないのが気に入った。小学校時代は軟式の学童チームだったため、初めての硬式野…
-
「あいつは俺が育てた」と吹聴するコーチのろくでもない習性…逆に潰しているケースが圧倒的に多い
阪神から移籍したロッテの選手時代、強く意識したのが、新たな仲間とコミュニケーションを取ることである。 ロッテに拾ってもらった身。チームのために、これまではやらなかったことをやろうと心に決めて…
-
ロッテでは心の底から野球を楽しむことができた。二軍でも少年野球を始めた頃のように汗を流した
「出番がない日もあるかもしれないが、必ずチャンスはあるから、しっかり準備をしておいてくれ」 阪神を自由契約となり、ロッテに入団した2010年、最初に球団幹部にそう言われた。開幕一軍メンバーに入…
-
最も難しいホームランバッター育成に必要なこと・邪魔なもの…僕はロッテ時代に教わった
優勝するチームには、必ず投打のタイトルホルダーがいるものだ。そんな中心選手を自前で育てられれば、チームは黄金時代を築くことができる。 現場の要望に合わせて必要な選手をドラフトで指名する。正し…
-
僕の理想の指導者は岡田彰布さん…「野村監督になんと言われようと絶対に一軍に上げたる!」
二軍の存在意義とは何だろうか。まず二軍監督が「この選手は絶対にいいので使って欲しい」と一軍の首脳陣にはっきり言えること。逆に一軍や球団から「あいつを上げろ」と言われることがあるが、調子が上がっていな…
-
タイトル取っても年俸が上がらない二軍の現実 僕が一軍に推薦したい選手の特徴は…
「試合の結果に一喜一憂するな。二軍の選手は8割方、練習でイメージが決まるんだぞ」 僕が二軍の指導者として選手を見極める時、最も注目するのが「練習」である。 練習でいい印象だった選手が二…
-
僕は選手をあえて突き放すこともある…「そのやり方を選択したのは自分やろ」というプロの鉄則
ロッテの二軍コーチだった頃、ある選手が僕のところに来てこう言った。 「自分はもうダメです。どうしたらいいですか?」 長い間、二軍でも結果が出ずに悩んでいた選手だった。 球団も首…
-
打撃コーチが試合中、絶対に言ってはいけない最悪な一言 傾向と対策を頭に入れることは大事だが...
プロの試合前のミーティングってどんなことをやっているのか。 例えばよくあるのが「ボール球を振るな」というもの。これはスコアラーと打撃コーチの共同作業。どの投手に対しても「低めのボール球になる…
-
負けたら辞める一軍コーチ、所在があやふや二軍コーチ…決定的な違いは「責任」の有無
僕の指導者歴はかれこれ9年になる。ロッテで選手兼二軍打撃守備コーチを任された現役最終年を皮切りに、阪神で二軍打撃兼野手総合コーチ、ロッテで二軍監督、一軍ヘッドコーチを経験している。一軍と二軍の両方を…
-
僕は本来「教え魔」だが、最優先は「選手をみること」。むやみに教えまくるのがコーチではない
阪神から移籍したロッテで、選手兼任で二軍の打撃守備コーチを務めたところから、僕の指導者人生が始まった。 二軍でもあまり試合に出ない選手にモチベーションを保たせるのは難しい。僕はあえて「一軍の…
-
コーチ時代を振り返る…二軍でくすぶる選手の共通点に「調整のような打撃練習」「意志や工夫の欠如」
ここからはコーチの話をしよう。 千葉ロッテに移籍して3年目の2012年、僕は選手兼任で二軍の打撃守備コーチを務めることになった。 「兼任」という立場の選手は少ないが、いざなってみると、…
-
もしやり直せるなら、入学しない…暴力に翻弄されたPL学園野球部の事実上の廃部状態に思うこと
僕の同期で27歳の若さでPL学園(大阪)の監督に就任した藤原弘介は、2003年夏の甲子園に初出場し、最高成績は06年センバツ4強。転任先の佐久長聖(長野)では、監督就任直後の12年夏に10年ぶりの甲…
-
かつて控えだった同級生は、わずか27歳でなぜPL学園監督になれたのか
甲子園に春夏通じて8度出場した佐久長聖(長野)の藤原弘介監督が3月末で退任した。 2001年にPL学園の野球部内で暴力事件が起こり、河野有道監督が引責辞任。半年間の対外試合禁止処分を下された…
-
PL学園 堅守の裏に名ノッカーあり…河野有道コーチはとにかく寡黙。無言がかえって怖かった
僕がPL学園3年春にセンバツに出場した1992年から甲子園のラッキーゾーンが撤去された。本塁打は前年の18本からランニング本塁打1本を含む7本に激減した。第1号が星稜(石川)の怪物・松井秀喜で、開幕…
-
雑念だらけだった初の甲子園 星稜・松井秀喜の弾丸ライナー弾にPLナインは絶句した
厳しい練習や過酷な寮生活を乗り越え、目指すは甲子園出場。僕は1年秋からレギュラーに定着したが、やっと目標を達成できたのは3年春、1992年のセンバツだった。 PL学園はちょうど低迷期で、甲子…
-
PL学園の選手はなぜ胸に手を当て、なんとつぶやいていたのか…強力打線と強靭メンタルの秘密
PL学園は歴代、強力打線がウリだった。 前回「バットは指で握れ」という中村順司監督の指導を紹介したが、今では当たり前となっている「竹バット」での打撃練習を、どこよりも早く取り入れていた。 …
-
常勝PL学園を築いた中村監督の野球理論は衝撃的だった…グラブのはめ方まで徹底して甲子園勝率.853
PL学園で甲子園通算58勝10敗。驚異の勝率.853を誇る中村順司元監督はよく「高校で終わりじゃねえぞ。みんな大学や社会人、プロで長く野球を続けて欲しいんだ」と言っていた。そのため、バットの握り方、…
-
だから桑田真澄さんは伝説的な存在だった。PL学園の野球部員は授業中に寝るはずなのに…
PL学園の野球部員は基本的に学校に行くことは嫌いじゃない。なぜなら、学校だけが地獄の寮生活や先輩から解放される「安息」の時間だからだ。1年時は「仕事」が多過ぎて、ほとんど寝られないことを先生たちは知…
-
PL学園で僕が直面した壮絶すぎる「鉄の掟」…部屋では常に正座で笑顔も禁止、身も心も休まらず
【前回】今思えばゾッとする。僕は下調べせずPL学園に入学し、激しく後悔…寮生活は想像を絶した からつづく。 ◇ ◇ ◇ スカウトの方に誘われるがまま、一度も見学することなく、僕は…