ロッテでは心の底から野球を楽しむことができた。二軍でも少年野球を始めた頃のように汗を流した

「出番がない日もあるかもしれないが、必ずチャンスはあるから、しっかり準備をしておいてくれ」
阪神を自由契約となり、ロッテに入団した2010年、最初に球団幹部にそう言われた。開幕一軍メンバーに入ったものの、その後は二軍暮らしが続いた。それでも阪神時代のように腐ることはなかった。少年野球を始めた頃のように新鮮な気持ちで汗を流すことができたのは、拾われた身だからだろう。二軍で調整する期間が長かったため、若手に僕の経験を伝えることにした。それが役目だと思った。そしてシーズン終盤、一軍に呼ばれた。
ロッテでは首脳陣が考えていることが分かった。僕は途中出場に備え、試合序盤からベンチ裏でバットを振るなど、準備をしていた。さらに出番がなかった後輩に声をかけるようにした。阪神で2度のリーグ優勝を経験したが、いくらレギュラーが頑張っても、控え選手が機能しなければ、日本一にはたどり着かない。出番に向けて準備をしても、試合に出られなければモチベーションを保つのは難しい。だから、控え選手のケアに心を配った。阪神時代の僕を知る選手や関係者からは「まるで別人や」と言われた。
勝てばクライマックスシリーズ(CS)進出が決まる最終戦で2安打を放ち、本塁へ派手なヘッドスライディングでチームを鼓舞した。
この年のロッテは、球史に残る「史上最大の下克上」を成し遂げた。CS制度がスタートしたのは2007年。リーグ3位から日本一という大逆転劇を演じたのは、昨季のDeNAが達成するまで、10年のロッテだけだった。
3位だから失うものはない。初めは「勝とうぜ」と言い合っていたが、だんだんとそれが
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