もしやり直せるなら、入学しない…暴力に翻弄されたPL学園野球部の事実上の廃部状態に思うこと

僕の同期で27歳の若さでPL学園(大阪)の監督に就任した藤原弘介は、2003年夏の甲子園に初出場し、最高成績は06年センバツ4強。転任先の佐久長聖(長野)では、監督就任直後の12年夏に10年ぶりの甲子園へ導くと、計5度の出場を果たし、今年の3月限りで退任した。
PL学園コーチ時代の教え子に今江敏晃、監督時代には現タイガースの前田健太らを育てた。「名将」といっていい実績である。
そんな藤原監督は「暴力」に翻弄された。PL学園監督就任は、暴力で引責辞任した河野有道監督の後を受けてのものだし、自身もこれによりPLを去ることになった。
本人は「悪しき体質」を変えようと動いていた。暴力の温床とされていた寮内で下級生が上級生の身の回りの世話をする「付き人制度」を廃止するなど、再発防止に努めたものの、減少させることはできても、完全に排除することはできなかった。
野球部は13年に発覚した部員の暴力問題を受け、15年から部員の募集を停止。17年には大阪府高校野球連盟から脱退した。以降、事実上の休部状態が続いている。
清原和博さんは「厳しい体罰やしごきを乗り越えてきたから今の自分がある」とあちこちで言っていた。多くのOBは「あの頃はきつかったけど、あの体験があるから今の自分がある」と口を揃える。当時は当たり前だった上級生からの「しごき」をいい思い出として振り返るOBは多い。
一方で桑田真澄さんは
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