かつて控えだった同級生は、たった27歳でなぜPL学園監督になれたのか。野球の印象はあまりないが…
甲子園に春夏通じて8度出場した佐久長聖(長野)の藤原弘介監督が3月末で退任した。
2001年にPL学園の野球部内で暴力事件が起こり、河野有道監督が引責辞任。半年間の対外試合禁止処分を下された後、代わって母校PL学園の監督に就任したのが、当時27歳で僕の同期、当時はコーチだった藤原だ。
正直なところ、野球の印象はあまりない。それより人柄である。しっかり者で危険察知能力にたけていた。とっとと「仕事」を済ませてしまうものだから、1年時も先輩に怒られる姿を見たことがない。そんな部員、藤原くらいである。それでいて、同級生や後輩からも慕われた。そんな性格だから、2年時は1年生を指導する「下級生指導員」を務めた。僕たちの代では三塁ランナーコーチだった。
控えメンバーだった藤原はなぜ20代で名門PL学園の監督になれたのか。それは「人柄」であり「野球観」だろう。「レギュラーとして試合に出ていなかったことで、ベンチから全体を見渡すことができて視野が広くなった。これが指導者として生きた」と話していたことがある。監督時代、選手にはこんなことを言っていたそうだ。