(25)父はひとりで死んでいた…つながらない電話に胸騒ぎ
その年は寒い冬だった。コロナ禍ではあったが、私は母の要介護度の通知が届いたら、年末年始に帰省して母が実家に戻ってくる算段をつけようと考えていた。その準備を始めれば、何カ月経っても母が退院してこないことに苛立ち、怒ってばかりいる父も納得するだろう。私だって、この一家の一大事に、いつまでも父親と対立していたいわけではなかった。
母が認知症であること、これまであちこちのクリニックでもらった薬のいくつかが母の症状を悪化させていたこと、いま病院ではその投薬を調整していること、そして母はもう以前のままの母ではなく、自力での生活は難しいこと──そうした事実を何度説明しても、父は受け入れようとしなかった。
しかし今になって振り返れば、父もまた、少し認知機能が低下していたのではないかと思う。いつもニコニコと優しかった父が、短気で怒ってばかりの、話の通じにくい人になってしまっていた。そうなった理由は、他に思い当たらない。
結局、年末までに母の要介護度を知らせる封書は届かなかった。私は気がかりなまま、お正月も父に電話をかけなかった。言い合いになるのがわかっていたからだ。