(26)意地を張らず、父ともっときちんと話をしていれば
要介護度の通知が届いたら年末年始に帰省し、母が実家に戻って今後必要なケアが受けられるよう準備を進めたいと考えていたが、病院の手続きが遅れ、年内に通知は届かなかった。そして新年。何度電話をしても父が出ないことに不安を覚え、叔母に実家を確認してもらったところ、部屋で亡くなっているのが見つかったのだった。
警察から電話での事情聴取を受けたのち、私は翌朝熊本に向かわなければならなくなった。急きょ手配した航空券の往復料金は7万円強。年末に父が現金書留で送ってきたお金のことを思い出した。「有意義に使いなさい」とだけ言われたその金額は、飛行機の往復運賃とほぼ同じだった。
検視の結果と、ポストにたまっていた新聞の日付から、父は死後約1週間が経過していたと推定された。下着姿で、ベッドの脇の床にうつぶせに倒れていたが、周囲に乱れはなく、苦しんだ形跡もなかったという。おそらく意識を失ってそのまま、ということだった。父は最期まで、自ら医療に頼ることもなく、寿命をまっとうしたのだ。
葬儀や火葬の段取りを進めながら、後悔、そして寂しさが襲ってきた。何よりもつらかったのは、そうした感情を分かち合える家族が誰もそばにいなかったことだ。母の主治医に電話で報告したところ、「お母さまには、当面お父さまの死を伝えないでください」と告げられた。母の症状に与える影響が大きいと判断されたからだった。