大東亜戦争調査会は、政府内部に置くことは認められなかったが、事務局長役の青木得三は、民間に組織を移して調査を始めた。私財を投じるような形で、この調査会の役割を守り続けたと言ってもよいだろう。執筆には青木自らがあたり、おりから東京裁判のA級戦犯の弁護活動の一環として資料集めをして…
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