阪神伝説の打点王・今岡真訪 感性のチカラ
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かつて控えだった同級生は、わずか27歳でなぜPL学園監督になれたのか
甲子園に春夏通じて8度出場した佐久長聖(長野)の藤原弘介監督が3月末で退任した。 2001年にPL学園の野球部内で暴力事件が起こり、河野有道監督が引責辞任。半年間の対外試合禁止処分を下された…
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PL学園 堅守の裏に名ノッカーあり…河野有道コーチはとにかく寡黙。無言がかえって怖かった
僕がPL学園3年春にセンバツに出場した1992年から甲子園のラッキーゾーンが撤去された。本塁打は前年の18本からランニング本塁打1本を含む7本に激減した。第1号が星稜(石川)の怪物・松井秀喜で、開幕…
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雑念だらけだった初の甲子園 星稜・松井秀喜の弾丸ライナー弾にPLナインは絶句した
厳しい練習や過酷な寮生活を乗り越え、目指すは甲子園出場。僕は1年秋からレギュラーに定着したが、やっと目標を達成できたのは3年春、1992年のセンバツだった。 PL学園はちょうど低迷期で、甲子…
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PL学園の選手はなぜ胸に手を当て、なんとつぶやいていたのか…強力打線と強靭メンタルの秘密
PL学園は歴代、強力打線がウリだった。 前回「バットは指で握れ」という中村順司監督の指導を紹介したが、今では当たり前となっている「竹バット」での打撃練習を、どこよりも早く取り入れていた。 …
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常勝PL学園を築いた中村監督の野球理論は衝撃的だった…グラブのはめ方まで徹底して甲子園勝率.853
PL学園で甲子園通算58勝10敗。驚異の勝率.853を誇る中村順司元監督はよく「高校で終わりじゃねえぞ。みんな大学や社会人、プロで長く野球を続けて欲しいんだ」と言っていた。そのため、バットの握り方、…
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だから桑田真澄さんは伝説的な存在だった。PL学園の野球部員は授業中に寝るはずなのに…
PL学園の野球部員は基本的に学校に行くことは嫌いじゃない。なぜなら、学校だけが地獄の寮生活や先輩から解放される「安息」の時間だからだ。1年時は「仕事」が多過ぎて、ほとんど寝られないことを先生たちは知…
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PL学園で僕が直面した壮絶すぎる「鉄の掟」…部屋では常に正座で笑顔も禁止、身も心も休まらず
【前回】今思えばゾッとする。僕は下調べせずPL学園に入学し、激しく後悔…寮生活は想像を絶した からつづく。 ◇ ◇ ◇ スカウトの方に誘われるがまま、一度も見学することなく、僕は…
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今思えばゾッとする。僕は下調べせずPL学園に入学し、激しく後悔…寮生活は想像を絶した
東洋大がひとつの原点なら、もうひとつの原点は、高校である。 兵庫の宝塚シニアでプレーしていた中学時代、そこそこ名の知られた選手だった僕は、漠然と大阪の強豪・近大付属高校に進みたいと思っていた…
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僕が東都大学リーグで過ごした4年間の濃ゆい思い出…入れ替え戦史上初の3試合連続本塁打を放った
東洋大の恩師・高橋昭雄監督はバントが大嫌いだった。 しかし、勝ち切れない時期が続いたことで、生意気にも「スクイズをやったらどうですか?」と進言したことがある。すると、「バカ野郎!」とこう怒ら…
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青学大に落ちた直後、「今岡ならOK」と東洋大学入学が即決定。PL学園の底力を知った気がした
PL学園3年春、学校に「青山学院を受けろ」と言われ、合格は決まっていると思っていたセレクションでまさかの不合格。その後、「青山学院は(国学院久我山の)井口資仁(ダイエー)を取るから、同じ内野手は取ら…
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PL学園から青学大へのスポ薦「まさかの不合格」の裏に井口資仁の存在…入学できると信じていたが
アトランタ五輪決勝は最強キューバの牙城を崩せず銀メダル。ただ、予選リーグ1勝3敗から4連勝して決勝へ。僕は控えから4試合目にスタメンに抜擢されると、最終的に4割以上の成績が残せた。完全燃焼した2位だ…
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「負けろ」と願った自分を恥じたほどチームは “打倒キューバ” で一丸、完全燃焼できた
「打倒キューバ」を掲げ、アマチュア最強メンバーで臨んだ1996年のアトランタ五輪。当初は控えだった僕がスタメンで起用されるようになり、あと1敗したら敗退となる予選リーグ5戦目から流れが変わった。 …
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1996年アトランタ五輪で僕に起きた2つの幸運…不謹慎ながら最初の頃は「負けろ…」と思っていた
ここからはアマチュア時代の話をしよう。 1996年のアトランタ五輪の日本代表メンバーが発表された時、僕は東洋大4年。この五輪には「幸運」が2つ訪れた。 もともと僕はメンバー外のはずだ…
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拾われたロッテの入団会見では不覚にも泣きそうに…トライアウトからテスト生としてキャンプイン
「今岡にはプライドがないんか?」 2009年11月11日、周囲に批判を浴びながら、僕は12球団合同トライアウトを受けた。舞台は偶然にも阪神の本拠地・甲子園球場。当日は雨のため、室内練習場が会場…
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僕が引退試合を拒否した理由…阪神には愛着以上の感情も、野球を続けたい気持ちが勝った
前回「阪神からの戦力外通告「全内幕」…四方八方から《辞めた方が身のためや》と現役続行を反対された」からつづく。 ◇ ◇ ◇ 「このままではユニホームを脱げない。もう一度、自分の気…
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阪神からの戦力外通告「全内幕」…四方八方から《辞めた方が身のためや》と現役続行を反対された
2009年10月、阪神から戦力外通告を受けた。残された選択肢は引退するか、他球団へ移籍するかの2つだけである。 球団から最初に打診があったのは、2カ月前の8月ごろ。球団事務所に呼ばれ、「そろ…
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監督に最も向いているのは「内野手」…捕手最強監督論に異議を唱えたい
投手、捕手、内野手、外野手ーー。プロ野球の監督はどこのポジション出身が向いているか。 歴代の阪神監督では、投手は星野仙一さんや藤川球児現監督、捕手は野村克也さんや矢野燿大さん、内野手は岡田彰…
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新庄剛志さんは脱いだら「ムキムキ」ですごかったが、トレーニング姿を見たことない
以前「常識から外れてみよう」と述べたが、最も当てはまるのが、僕が1997年に入団した頃、3番打者としてバリバリの主力だった新庄剛志さん(現日本ハム監督)だ。 一見、細身に見えるが、驚いたのは…
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首位打者の03年と打点王の05年は、打ち方を180度変えていた。持論は「打率と打点は両立しない」
球場はなぜバックスクリーンがあるセンター方向が一番深いのか。それは投球をまっすぐ打ち返すことで最も打球が飛ぶからである。センター方向への角度とタイミングで打つことが打撃の基本。 簡単に言うと…
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「先頭打者本塁打」を量産した僕の頭の中身…1番打者が最も打てる確率が高いのは第1打席の初球
現代のプロ野球界は昔よりデータに縛られてプレーするようになった。最近、イチローさんがメジャーの野球について「データでがんじがらめにされて、感性が消えていくのが現代の野球」と警鐘を鳴らした。僕も同感で…