地獄の浜松キャンプでは自分の脇腹負傷にガッツポーズ、束の間の休息が本当に嬉しかった
1987年の秋に経験した地獄の浜松キャンプでは、「入団5年目以内の選手は全員、球場から宿舎まで走って帰る」というルールがあった。先輩はバスに乗れたが、若手はバスを禁じられたのだ。
浜松市営球場から宿舎のグランドホテル浜松まで約7~8キロ。全体練習と陸上トレーニングですでに疲労困憊で、走るというよりは歩いて帰っていた。
つらい帰り道で唯一の希望だったのは車だった。球場からホテルに帰る途中、坂道を下ったところに並行輸入のスーパーカー屋さんがあった。ガラス越しには、ずらっと並んだ高級外車の数々。当時で約4000万円、今ではプレミアがついて5億円くらいするといわれている赤のフェラーリ「F40」も飾られていて、「うわあ~、かっこいいなあ。乗りてえなあ、欲しいなあ……」と指をくわえて見ていたものだ。
ある日、寄り道して車を見せてもらったこともあった。そのときはもちろん買えるわけもなかったが、「いつか絶対に買ったるぞ!」と心に誓い、過酷なキャンプのモチベーションにしていた。
歩くと1時間はかかるので、宿舎に着く頃には時計の針は夜7時を回っていた。ホテルの食事会場はカラッポ。料理はすでに撤収済みで、食べるものは何もなかった。仕方がないので、ホテルの中で夜中まで営業しているレストランに入り、夜食用のラーメンをすすった。ほぼ毎日ラーメンで、今思えば栄養面としてはかなり問題があったと思う。