敵軍・大野豊さんの“余計な一言”で理不尽すぎる罰金「7ケタ」のとばっちり
罰金の話の続きをしよう。
俺が食らった最高額は100万円。1回目は3年連続で春季キャンプ初日に風邪をひいたとき。2回目は1996年6月15日、広島戦(広島市民球場)でのことだった。
96年はシーズン序盤から調子が良かった。5月までに9本塁打を放ち、絶好調で迎えた広島戦に「6番・左翼」でスタメン出場することが決まった。
試合前の走塁練習中、球場の土がぬかるんでいた影響で打球がイレギュラー。避けきれずにふくらはぎに直撃し、激痛に襲われた。
結局、守備に就くことも打席に立つこともなく、一回表の終了後に途中交代。治療してホテルに引き揚げ、静養するしかなかった。
試合は1-4で先発の大野豊さんに完投負け。チームが帰宿してしばらくすると、監督付広報の金山(仙吉)さんがニヤニヤしながら部屋に来て、こう言った。
「お~い、タケ! オッサン(=星野監督)が7ケタだって~」
最初は何のことか分からなかった。7ケタということはつまり、100万円。