理由はもちろん星野監督…一軍昇格の知らせに「うわ、最悪だ」が先立った
「一軍」という場所はプロ3年目まで縁がなかった。2年目の1988年にはチームがリーグ優勝したけれど、「まったくの他人事」という感覚。優勝した実感がないどころか、自分にとっては何の関係もない出来事のひとつでしかなかった。
10月7日のヤクルト戦。ナゴヤ球場で優勝が決まった。星野仙一監督の就任2年目のV。興奮したファンがグラウンドに乱入するハプニングもあったが、この2週間前、9月19日に昭和天皇が「ご重体」というニュースが世間を駆け巡り、日本全国が自粛ムードに包まれていた。「祝勝会」は「慰労会」と名前を変え、ビールかけや優勝パレードは中止。派手な行事は軒並みなくなった。
優勝したチームにいたとはいえ、戦力になっていなかった。何の恩恵もなかった一方で、「勉強のため」と言って一軍の試合を見に行かされていた。寮生はホームゲームの場合、必ずナゴヤ球場で五回までは観戦するのがルール。当時、捕手だった俺は試合前練習のBC(バッティングキャッチャー)もやった。今ではどこの球団もアルバイトの子たちがその役割を務めていることがほとんどだが、同期の選手とローテーションで回しながら、打撃ケージでボールを受けた。