星野監督は中村武志さんを張り倒した直後、3ランを打った隣の俺にも鉄拳制裁…メチャクチャ痛かった
一軍デビューを果たしたプロ3年目は20試合に出場したものの、本塁打はゼロ。しかも、その数少ない一軍戦で屈辱を味わった。
1989年10月15日の広島戦(広島市民球場)で上原晃(沖縄水産高↓87年ドラフト3位)と先発バッテリーを組んだのだが、俊足好打の正田耕三さんに5度も盗塁を許したのだ。
初回にいきなり二盗を決められ、二回にも三盗を許した。上原と俺の若手バッテリーは完全に正田さんの足にかき回された。俺の捕逸や悪送球もあって、上原は2回6失点でKO。2番手の左腕・杉本正さんも五回、正田さんに二盗、三盗を連続で決められた。焦った杉本さんはワイルドピッチで正田さんは生還。結局、五回までに5盗塁を献上した俺は、ついにベンチに下げられた。正田さんはその後も1盗塁を決めて、プロ野球タイ記録の1試合6盗塁をマークした。
シーズン残り数試合という状況で、4個差をつけられていたヤクルトの笘篠賢治さんを逆転し、盗塁王を獲得した。
上原はクイックモーションができない。走者が出ただけでもかなり不利なのだが、杉本さんのときも走られているから、言い訳にはならない。