プロ1年目ドジャース野球留学の内幕…現地生活を大いに満喫した一方、試合には全く出られなかった
1987年、中日に入団してすぐの春季キャンプ中に星野仙一監督から命じられた米国への野球留学。滞在先のフロリダで球団が借りてくれた立派なコンドミニアムにはキッチンもついていたが、食事はもっぱら外食。一緒に留学していた荒川哲男(ドラフト4位入団の同期)はパンでも平気と言っていたけど、俺はパン中心の食事が体に合わず、渡米してすぐに日本食を求めてレストランを探した。
その影響で、留学生活で20キロ以上痩せた。中日に入団したときは108キロ近くあったのに、80キロくらいになって、見た目はガリガリ。特に練習がキツかったわけじゃないから、食事のせいだったと思う。やっぱりお米が食べたかった。
和食レストランを探していたら、日本の人がやっているステーキ屋さんを見つけて、(高橋)三千丈さん(当時一軍投手コーチ)と行くように。ほぼ毎日通うくらいの勢いだったと思う。休日にはレストランの社長さんの家に行って、ご飯をごちそうになったこともあった。
それから20年近くがたち、俺が楽天に行った後に仙台で食事をしていたら、ある男性に声をかけられた。ファンかなと思ったら、そのステーキ屋さんでアルバイトをしていた人だったのだ。しかも、球場でボール拾いの手伝いもしていたとか。すごい偶然に驚かされた。