星野監督の退任にガッツポーズも…あまりに早すぎる星野監督の現場復帰に頭を抱えた
これまで星野仙一監督の型破りな言動を書いてきたが、俺も破天荒にならなければ、ここまで生き残ることはできなかったかもしれない。
俺が一軍に定着できたのは1995年の9年目。これだけの遅咲きで、8年間も二軍におったら普通はクビになる。
思い返せば、捕手を“クビ”になり、星野監督に「おまえ、外野に行け」と言われたとき。
「おい、『外野の後ろ』は何だ」
「観客席です」
「そういうことだ。『外野の後ろ』はもうねえぞ」
そう最後通告されたことを思い出す。それでも戦力外にすることなく、我慢してくれた星野監督には感謝している。
91年オフに星野監督の退任が決まったときは正直、心の中でガッツポーズをした。俺だけじゃない。一緒にやってきたチームメートの多くが同じ気持ちだった。
耐え抜いてきた理不尽な出来事が走馬灯のように蘇り、「やっと終わった……」と肩の荷が下りたような気持ちになった。
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